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2007年5月25日 (金)

放送倫理検証委員会第一回

5月21日、「はしか」の大流行はついに日大まで拡大し、今日から急きょ、今月一杯学部授業はすべて休講となった。大学はたいへんだろうが、我々非常勤の身には自分の時間ができた。

西山太吉の「沖縄密約、『情報犯罪』と日米同盟」(岩波新書)と、寄川条冶ほかの「現代ドイツにおける知のパラダイム・メディア論」(御茶ノ水書房)を読む。

523日、1430分から千代田放送会館でBPO(放送倫理・番組向上機構)の新委員会「放送倫理検証委員会」の第一回会合に出席。立花隆氏、吉岡忍氏ら10人で構成される。委員長は弁護士の川端和冶氏。委員長の指名で弁護士の小町谷育子氏と共に「委員長代行」に就任する。

委員の一人、東北大学教授の石井彦寿氏はかつて仙台に住んでいた我が家の隣人だった。そこは北4番町というところにあった裁判官の官舎で、当時、父は仙台地裁判事だった。私が東大生の頃だから、一緒に遊んだりした記憶はまったくないが、しかも現在、母の実家であった勅使河原法律事務所でも仕事をしているという。偶然とはいえ人のめぐり合わせは面白い。

 会議は活発に議論が行われ面白くなりそうだったが、残念ながら時間が足りなかった。TBE「朝ズバッ」問題の結論は次回へ送り、1630分すぎから場所を移して記者会見。60人ほどの記者、カメラが集まった。

 会見終了後、予定していたTBS報道局OB会へ出席、プレスセンター10階のレストラン・アラスカで。50名ほどの出席。村上望さん、大蔵雄之助さん、大田さん、志甫さん、大越さんなど何人かの尊敬できる先輩たちと久闊を叙する。私は報道局でも異端社員だったから長居は無用と退席したら、センターの入り口で安倍首相とすれ違った。すごいおつきとガードマン、記者たちのなかで横顔がやや疲労感を漂わせていた。(翌日の朝刊によると地方新聞社との夕食懇談会だったらしい)タクシーで銀座のおおくらへ。3ヶ月ぶりぐらいだろうか。ひとりカウンターでゆっくり酒を飲んで、深夜帰宅。

524日、珍しくテレビプロデューサーとして声がかかり、汐留の電通本社へ。1時間ほどテレビ番組企画についての意見を求められる。帰路、新宿のヨドバシカメラでコピー機を、京王デパートでシャツなどを買う。夕食を食べて帰ったら留守電で注文の背広が仕上がった由、すぐ近所の洋服店へ、つい数日前、世田谷一丁目殺人事件があった家の近くなので、今日も警察や新聞記者の聞き込みが続いているとか。犯人はまだ捕まっていない。夜中まで、林紘一郎「情報メディア法」を読む。

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2007年5月18日 (金)

07放送人グランプリ

4月10日、11時13分の「のぞみで」大阪へ。関西テレビ本社を初めて訪れた。新社長とお会いし、16時からの研修会へ出席。約1時間ほど喋る。終了後、調査委員会事務局の方々と久し振りの懇談。もはや回顧だが、苦労話は尽きない。17時にNHK・民放とBPOの3トップがBPOの新委員会を発表する記者会見をした。実は私も委員のひとりに就任を内諾していた。そのニュースがしばし話題。関西テレビ報道から発表資料のコピーをいただく。一泊して、11日、有志の人たちと「地方の時代」映像祭」の大阪開催についての基礎的な話し合い。前へ進むことを祈りつつ、夕方、帰京。

4月12日、14時から、NHK青山荘で「放送人の会」総会、早めに終了して、今年度「放送人グランプリ」の贈賞式。毎年のことだが今年も、手作りのささやかな会ではあるが、気持ちのこもったいい会だった。今年の受賞者は次の通り。

グランプリ

 鎌倉英也と「NHKスペシャル 日中戦争 なぜ戦争は拡大したのか」の制作スタッフ

 「NHKスペシャル 日中戦争 なぜ戦争は拡大したのか」(NHK06年8月13日、放送)は、8年におよぶ日中戦争が太平洋戦争へ拡大するプロセスを、新資料も取り入れつつ実証的に検証。「時代の語り部」に徹したドキュメンタリーとしてタイムリーな作品を提示した。その努力と成果を讃えて。

特別賞(1)

訓部 圭と「ハゲタカ」の制作スタッフ

 「ハゲタカ」(NHK200623月放送)は「失われた10年」とは何であったのかを問うという難しい企画分野に果敢に挑戦し、脚本、演出、演技、技術、美術などを総合してアクチュアリティ溢れる現代的テレビドラマに仕上げた。その努力と成果を讃えて。

特別賞(2)

矢野良彰を代表とするテムジンの中国取材スタッフ

テムジンは中国取材を得意とするユニークな制作会社であり、これまでも数多くの秀作ドキュメンタリーを取材し制作してきた。06年度は、「民衆が語る中国激動の時代~文化大革命を乗り越えて」(NHK)で本領を発揮、文革の生々しい体験とその後の人生を語る民衆の長時間インタビューは貴重な記録である。その努力と成果を讃えて。

特別賞(3) 伊藤明彦(元長崎放送記者)

原爆被爆者の証言を録音し続けて40年。組織を離れても命がけで継続し、遂に完成したCD作品は無料で全国の公共施設へ寄贈、すべて自費である。その活動と生き方は「放送人」とは何か?の原点を寡黙に、しかし強烈に問い続ける。今なお続くその活動を讃えて。

伊藤さんは現在も広島で取材中。スケジュールがとれず欠席されたので事務局でトロフィーなどをお預かりし、臨時の代理として会員の伊藤さんが受けとるかたちとなった。私も知らなかったが、伊藤さんは長崎の被爆者でもある。

特別賞(4) 大脇三千代(中京テレビ報道部)

  調査報道番組で、民放連報道部門で3年連続して優秀賞を受賞、今年は最優秀賞、芸術祭賞、3月には芸術選奨新人賞を受賞した。対象となった「消える産声」は、産婦人科医の減少に苦悩する地域の実態に迫り、規制緩和の実情に踏み込んだ秀作。その努力と成果を讃えて。

特別功労賞(1) 故・実相寺昭雄(テレビ演出家)

 抜群の映像感覚と斬新な演出力でテレビドラマ、テレビ中継、映画、オペラ演出などジャンルを超えた演出活動を続けた。「波の盆」(芸術祭大賞、ATP第1回グランプリ)、

「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ウルトラQ」など、大きな成果を残した活躍に敬意を表して。

特別功労賞(2) 故・佐々木守(脚本家)

 「お荷物小荷物」、「知ってるつもり」ほか、テレビドラマの脚本、情報番組の企画構成など、多彩なジャンルでユニークな才能を発揮し、数多くの制作者へ刺激と元気を与え続けた。テレビとはなにかを追い続けた創造的活動に敬意を表して。

5がt18日映画を見る予定をとりやめ、「月刊民放」の原稿に終日取り組む。

5月15日、不二家のチョコレート問題でBPOへ提訴があったらしい。記者会見をしたというニュースが入った。どう対応するのか、第一回の会合を開いてみないとなんともわからない。新聞記者からコメントを求められ、委員就任を改めて実感する。これまでのBPO活動について大急ぎで取り寄せた資料などを読み始める。いずれにしても、社会のなかの放送の役割について改めて考えることが今年の大きなテーマに浮上してきた。

5月14日、日大で講義。「フィクションとノンフィクションのあいだ」をテーマに。長嶋甲平氏の「詩のボクシング」を素材にして。テレビ演出の根幹のテーマのひとつである。

18時過ぎ終了。喫茶店でアイスクリームを食べて一休みして帰る。

特別功労賞では、それぞれ夫人が出席され、ご挨拶もされた。セレモニー終了後、レセプション。昨年のグランプリ受賞者で琉球放送のラジオディレクター上原直彦さんからお祝いの琉球古酒の樽が届いた。出席者の恒例一言スピーチも例年のことだが面白かった。

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2007年5月 9日 (水)

[テレビ演出」の基礎

57日、日大芸術学部で本年度第一回「テレビ演出論」の講義。1966年に萩元晴彦と共同演出した「あなたは…」を素材に、私がドラマからドキュメンタリーの世界へ移ったわけを話す。実はそこに「テレビは時間である」という仮説、「プロセスこそテレビ」、「他者との出会い」、「フィクションとノンフィクションのあいだ」など「テレビとはなにか?」を考える基本的な要素がつまっているのだ。毎年、素材にする5本の作品のひとつだ。

ちなみに5本とは、「あなたは…」のほか、是枝裕和作品、森達也作品、長嶋甲平作品、そして私の軍艦島など日本近代の廃墟を記録した「近代遺跡の旅」である。この5本で、テレビ演出の基礎構築の作業ができると私は確信しているのだ。あとは学生たちの飛翔力である。しかし、それにしても、萩元も、構成の寺山修司も、音楽の武満徹も逝去。60年代を語れる人は少なくなったが、伝えるべきことは大きく、重い。武満のエッセイの一部を紹介しながらあらためてそのことを思う。

 帰路、池袋へ寄り、境真理子さん、砂川慶浩さんと久し振りの食事会。「あるある」お疲れ会ということでお二人のご好意に甘えてご馳走になる。ディープな韓国料理だった。立教大学の近くなので、服部孝章さんも顔を見せ、歓談。

58日、15時、近所の洋服屋で仮縫い。16時、テレビマンユニオンで重延浩氏と、1630分テレコムジャパン寺島高幸氏と会う。

 夜、北日本放送の金沢敏子さんからだいぶ前に送っていただき、見る機会をつくれないでいたドキュメンタリー「一枚の写真が…」をようやく見た。横浜事件の発端とされた泊温泉(実は温泉はなかった)事件の丹念な発掘作業である。貴重な収穫だった。

 実は横浜事件については、大きな思い出がある。事件からほぼ20年後の1965年、TBSで私が担当した連続ドラマ「陽のあたる坂道」のなかで、脚本の山田正弘さんと組んで、原作にはない「横浜事件」を取り入れたのだ。大正14年の治安維持法制定以降、最大の思想・言論弾圧事件である。いまなお、再審請求が遺族や支援者の手で進められているが、日本の司法は3度にわたって「控訴棄却」「裁判打ち切り」と再審を拒否してきた。泊事件のとき、地元の関係者たちが必死に特高に抵抗した事実をこの番組ではじめて知って感動した。

 私と山田正弘(既に故人となり、二度とこのことを語り合える人はいなくなってしまった)の試みは、あとで私個人にとっては人生を変えるような重大な結果となるのだが、長くなるの他日にゆっくり書きたい。

59日、「エイジング」誌の原稿と、「放送文化基金賞の選考記、主演女優賞の贈賞理由などの原稿をやっと送り、「地方の時代」映像祭まとめ記録の原稿と「月刊民放」原稿15枚にとりかかる。金沢さんの「一枚の写真が…」はギャラクシー賞に入賞していたのをパーティの案内状で知った。他人事ながら嬉しかった。

 明日は大阪出張。関西テレビ本社の研修会で話をしなければならない。制作会社と放送局のことをというレクエストはあるのだが、なにをどう話すか、は結構難しい問題である。参考になるかと、4月3日の紛糾したといわれる「社員総会」の記録(ネットでひそかに手に入れたもの)を読む。

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2007年5月 2日 (水)

基金賞審査終わりブログ再開へ

5月1日、放送文化基金賞(テレビドラマ部門)の審査で、4月22日から1週間、渋谷のホテルに泊まりこんでいたため、心ならずもブログ更新ができませんでした。この間、開いていただいた方々には申し訳ありませんでした。お詫びします。ホテルでは無線で通信可能なのですが、安全上のリスクを避けるため使用しませんでした。

 4月27日(金)の委員会でようやく4作品の入賞が決まり、審査とカンズメ生活が終わりました。発表は5月中旬なので、ここに書く訳にはいきませんが、今年は最後に残った数本は面白く見れました。1年で数本というのが残念ながらテレビの現状なのかもしれません。最初に推した4作品と入賞作が結果として一致したので、今年の審査会は私としてはまあまあ成功、と言えましょう。4作品とも、社会のひずみやゆがみをそれぞれの角度からそれぞれの方法で描いています。今日的なリアリティがテレビドラマにおいても必要条件となってきたということでしょう。

 

28日(土)は、15時から放送人の会の幹事会に出席。先ごろ決まった「放送人グランプリ」の経過と受賞作品を資料配布して報告した。贈賞式は512日の今年度総会終了後に行われる。

 29、30のゴールデンウイーク前半は、どっと疲れがたまって寝たきりの生活。いろいろ考えねばならないことは山積しているのだが、なかなか気合が入らない数日だった。

30日夜、近所の仕立て屋を訪ね、洋服を注文。なるべく近所の店を活用するのが最近マスターしつつある生活術でもある。

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