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2007年2月23日 (金)

「蟻の兵隊」を見た

2月22日、夕方、下高井戸シネマでドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」を見た。実は映画どころではなく、資料読みでたいへんだったのだが、あまりにもひどい話ばかりで嫌になり、気分晴らしにいい映画を観たいと思って出かけた。

映画はすばらしかった。ずしんと胸に響く。原一男の伝説的な名作「行き行きて神軍」を超えたのではないか。

戦後、中国の山西省で、軍の命令で残留し中共軍と戦った2400人の日本兵士の物語である。明らかにポツダム宣言に違反したこの行為は、日本と中国の将軍同士で密約されていた。裁判所、日本国は、彼らはあくまで自由意志で残留したとして命令の存在を認めない。生き残りの主人公は、証拠を求めて中国へ旅する。そこは、かつて初年兵教育で人を殺した現場への60余年ぶりの旅でもあった。

もはや老人となっている彼が、被害者と話すなかで突然激高する場面があった。後で彼は、それが自分の中に残っていた「兵士の思想」を見てしまったことに気がつく。カメラが抜群にいい。撮影の福井さんは、たしか私がTBSでドキュメンタリーを作っていた頃、撮影助手をしていた。あれから40年、素晴らしく成長した彼のカメラワークに感心。制作した連の池谷監督はかつて中国を専門とする制作会社テムジンのリーダーであった。当時評判になったNHKの秀作群はほとんど彼らの力量が生み出したものであった。

テレビマンがジャンルを越えて活躍することに大きな力をもらったような気がして、すがすがしい一日だった。

夜、96年のTBSオウム・テープ事件の時の外部委員による調査報告書を10年ぶりに読む。積むと5センチを優に超える分厚いものである。こうしてみると、人々の意識はさほど変わっていないことに気ずく。

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2007年2月19日 (月)

希薄な当事者意識

2月12日、朝9時から「ATPEXAM」に出席。テレビマンユニオンのブースで終日、希望者たちとの面談に参加。予定時間を超え、最後は廊下での立ち話となってしまった。

 打ち上げの飲み会にも参加。若手の制作者たちと本音で語り合う。途中で失礼して帰宅、資料読みに入る。

2月15日、10時30分からテレビマンユニオンの採用会議。3次試験の出題案が決まらず難航し13時に閉会。14時、「あるある」問題で新聞社の取材を受ける。16時Dホテルのレストランで遅い昼食、18時、調査ワーキンググループ小委員会の会合に出席。いくつかの報告を聞き、討論。吉岡忍氏も出席、終了21時30分頃。吉岡氏と近所の和食店で焼酎お湯割りと魚で夕食。今年の「地方の時代」映像祭の新しい動きについて意見交換をする。23時過ぎ帰宅、追試の採点と日大芸術学部の来年度講義シラバスの校正をする。

2月16日、午後2時から東京全日空ホテル会議室で第3回調査委員会。入院してたはずの音氏が現われた。かなり元気そうで、本当に良かった。会議は、小委員会の報告を中心にさまざまな議論。残念ながら内容は書けないが、関西テレビの方々に席をはずしてもらい、報告書の感想を述べ合う。同局のメディア対応の姿勢転換のための意見も出た。

 終了後、取材の2社と会う。電話取材2社、ほかに留守電2社。19時、代々木上原で作家の石井清司さんと夕食。かねて約束していたのだがなかなか実現できず、久し振りの夕食会となった。予定した店が満員だったので、別の店でヒレカツとサラダでビールを飲む。

 

<私の個人的な若干のメモ>

       奇妙なことに、「あるある」について、関係者の当事者意識が少ない。みんな「だまされた」被害者という風情だ。それぞれの役割を持ってひとつの番組は関係した人は、みんなそれなりの責任を持っているはずだ。当事者意識を持っているのは担当のAディレクターはじめ2~3人にしか過ぎない。

       この問題をめぐる議論で一番多いのは、「BPO声明」に典型的に見るように、下請け構造が原因とするものだ。しかし、制作会社への分業体制がけしからんとするのは見当はずれもはなはだしい。テレビ番組を全部、テレビ局の社員がつくれという時代遅れの、かつ、見当違いの主張である。「文芸春秋」の記事は全部文芸春秋社の社員が書くべきだという(ナンセンスな)主張をするのと同じである。分業と請負・委任、個人の能力と責任などの問題を混同している。なにより、専門家とはなにかという問題意識が。

       チェック体制やチェック能力が問題にされるが、これもおかしな議論である。「7回のチェック機会を見逃した」という新聞報道は典型。現在、テレビ番組は必ずしもリアルタイムでは見られていない。スポーツ中継などを別にして、HDDVD録画で見たいときに見る人が多い。逆に言えば、番組は24時間いつでも、だれかに、どこかで、見られている、つまりチェックされているのである。「あるある」は1,2年前からネット上では、実験にアルバイトで参加した人のおかしいという報告など、さまざまな疑問の声が噴出していた。単行本も出版されているくらいである。つまり番組は社会と共に呼吸しているものだ。この関係に鈍感な放送マンこそが問われるべきだろう。ネットで自社製品の悪口をみて、「おい、お前の番組いろいろ書かれているけど大丈夫か?」と声をかける人はいなかったのであろうか。「便所の落書き」と無視していたのであろうか?その鈍感さは検証されねばなるまい。

       人はなぜテレビにでるのか?かつてP・ブルデューは「メディア批判」の冒頭でそう問いかけた。まさに「あるある」問題は、科学者とテレビ出演の関係性も顕在化した。コメントした学者たちの協力ぶりは否めない。新聞記者の質問には「だまされた」と言いながら。「週刊朝日」によると、このシリーズに10回以上出演している学者もいる。アカデミズムの退廃の一面を見る。

 ⑤ キー局社長が新聞記者とのオフレコ懇親会でしたという問題発言を漏れ聞いた。いまどき「オフレコ約束」は、当面、記事にしないというだけの意味でしかない。それとも、漏れることを想定して、キー局への調査波及を牽制した意図なのだろうか。

   

2月18日、「あるある」のDVDを数本見てから、夜、小委員会会合に出席。報告と検討。帰宅して「AURA」対談、「エイジング」連載原稿、日大来年度シラバスなどの校正作業。シラバスに「なぜ、情報番組の捏造事件は起きたのか?」の項目を追加する。

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2007年2月14日 (水)

ATP・EXAMの面談に参加

2月8日、15時からテレビマンユニオンの公募プロジェクト会議に出席、試験方法などの議論。帰ってJ・オウエルの「戦争とラジオ」の続きを読む。謎の2年間とされていたオウエルの、戦時中、BBCのプロパガンダ参加についての貴重な資料である。

音 好宏氏から明日やることになっている雑誌「AURA」対談のメモをメールでもらう。特集・制作会社についての一環。「あるある」問題が起きるとは思わず、だいぶ前に引き受けたもの。ふれないわけにもいかず、2人とも調査委員会委員なので、ふれるのも微妙なものがある。電話でしばし意見交換。

2月9日、13時からテレビマンユニオン応接室で、音氏と「AURA」の対談。フジテレビ調査部の永田氏らが立会い。15時頃終えて、昼食にそばを食べ、調査委員会会場へ。16時から第二回会合。前回積み残した事項の報告、小委員会のこの1週間の活動の報告でほぼ定刻に終わる。7日、関西テレビが総務省に提出した報告書が配布される。前回同様、取材陣が殺到するなかタクシーで帰宅。自宅前の待機3社、共同、朝日、毎日、読売、東京、各紙の取材を電話あるいは面談で受ける。各社の焦点は配布報告書の内容だが、渡されただけで1ページも読んでいないのだから何にも答えられないのは当然だ。コピーしたいという社もあったが、すべて断る。そんな安易な取材に応ずるいわれはない。くたびれ果てて、12時を過ぎ就寝。

2月」10日、ひさびさの休日、ゆっくり起床。エイジング誌の校正作業。調査委員の音氏が盲腸で入院したらしい。昨日、一緒に昼食のそばを食べたことを思い出し、少し気になるが、最近の手術は簡単で、復帰は早いらしいと聞き、少し安心する。夜、気をとりなおし、「あるある」問題の小委員会の報告と関西テレビの報告書を読み分析する。

2月12日、朝9時から「ATPEXAM」に出席。テレビマンユニオンのブースで終日、面談希望者たちとの面談に参加。予定時間を超えても終わらず、会場の制限時間を越えそうで最後は廊下での立ち話となってしまった。全参加者の約三分の一がテレビマンユニオンを訪れたらしい。多数きたことは嬉しいことだが、十分な対応ができなかった。しかし、できるだけていねいに応対したことだけは認めてもらえるだろう。打ち上げの飲み会にも参加。若手の制作者たちの本音を久し振りに聞く。話は尽きなかったが、途中で失礼してタクシーで帰宅、資料読みに入る。

 7日の関西テレビの報告書が不十分とする近畿総合通信局の再報告要請書を読む。一日で書いたとはとても思えない鋭い内容にやや驚いた。本気の殺気を感ずる。法改正への踏み込みは必至か。

2月13日、新たな資料がメールと宅急便でどっと届く。終日、資料のチェックと分析。新聞2社から電話。1社は夜10時過ぎにピンポンと鳴らす。古い取材方式にあきれ返る。一部の記事を試みにチェックする。この事件は、制作者だけではなく、科学者や実験参加者などの出演者、新聞記事報道、流通業界の構造的問題などの検証も同時に必要になりそうだ。

 中学時代の恩師・山田さなえ先生から著書が届く。第六歌集「それから」。少し厚さが薄いのが気にはなるが、ご主人が亡くなり、たいへんななかで歌づくりの情熱だけは失わないお姿を思う。私が中学生のとき、確か大学を卒業したばかりの新人の美人教師で、清潔感が溢れていた。国語と習字を担当していた。6冊そろった歌集を棚に置き眺めていると、何かやすらぐ感じ。ゆっくり味わいながら丁寧に読むつもりだ。

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2007年2月 8日 (木)

科学者の行動規範(学術会議)

2月5日、「報道論」試験の採点がようやく終わる。設問は「伝える」ことの意味を論述せよというものだったが、案の状、「あるある」問題にふれたものが多かった。試験が29日だったから、学生たちには絶好のタイミングだったようだ。捏造暴露の報道の裏側になにがあったかは、マスコミ報道をめぐる現状あるいは病理の絶好の教材なのだが、授業が終わってしまっていたのが残念だ。夜は川越市のホテルに泊まって、連載中の雑誌原稿を考える。

2月6日、朝10時から大学院の修士論文の口頭試問。露木茂氏とのコンビで、2人の留学生を担当。露木氏の絶妙にポイントをついた質問で進行、私としては楽をさせてもらった。学生は2人ともコチコチに緊張していて論文の不出来を挽回はできなかった。後味が悪いまま私の報告書を提出。追試の採点などは残るが、ほぼ東京国際大学での今年度最後の仕事となった。帰宅したら、北村充史氏から著書「テレビは日本人を『バカ』にしたか?」が届いていた。かねて執筆中と聞いてはいたが、一億総白痴化をめぐって読みやすく、面白い。一気に読んでしまった。関西テレビからは膨大な資料が宅急便で届くが、前途遼遠の感。

2月7日、午後、朝日新聞、夜は共同通信と、記者たちと会う。捏造問題について、調査委員会のことは喋れないが、事実上、第2回の会合が終わるまでは、確定して話すほどの進展はまだない。若干の私見を述べて、意見交換。

 夕方、関西テレビが総務省へ報告書を提出。内容がわからず記者団には不評を買ったらしい。

今日発売の「週刊朝日」で出演した研究者と広告主の関係を突く記事が出る。明日発売の「週刊新潮」にも。

 帰宅して、1月26日に出た日本学術会議の会長声明と、昨年10月に出た「科学者の行動規範」を読む。後者は88ページにおよぶもの。吉岡氏からの連絡で、今日出た「BPO放送番組委員会」声明を併せて読む。ビールを飲みながら、わが委員会のことを考えているうちに午前3時を過ぎた。

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2007年2月 1日 (木)

久々の更新

2月1日、久しぶりの更新。ここ数日、ブログに書けない事が二つ進行したため。

 ひとつは、関西テレビから突然の依頼で、社外に設置する調査委員会のメンバーの一員になることが決まったこと。正式発表と第一回の会合があるまでは不確定の部分が多かったので書くことができなかった。

 もうひとつは、文化庁の芸術選奨(放送部門)の選考委員を委嘱されていたのだが、その最終審査日が迫ってきて、候補者たちの作品を見なければならなかったこと。何を見たかを書けば候補者がだれだったかがわかってしまうから、これも書けなかった。

 そんな訳でしばらく更新できなかった。乞お許し。

 関西テレビの調査委員会は1月30日、多数の取材陣に囲まれながら御茶ノ水で第一回会合を開催、疑惑は納豆だけだと思っていたら次々と疑惑番組が出てきて、膨大な作業量が予想され、「パートⅡ」だけで140余本ある。関係者、出演者の数だけでも膨大なものとなるだろう。もはや納豆編一本を検証するだけではすまない状況になってきた。考えただけでも寒気がする。昨日は初顔合わせだったが、2時間余、議論をした。

芸術選奨の選考委員会は1月31日の午前開催、討議の末、受賞者は決まった。発表は3月上旬、それまでは書かないが、この数日テレビ、ラジオの質の高い作品をまとめて見足り聴いたりできたことは無常の幸いだった。放送も捨てたものではないと改めて確認できたような気分である。30日と31日、この二日の作業の落差の大きさに改めて驚く。

新聞記者の取材が相次ぎ、いわゆる「夜討ち朝駆け」の被害が続いた。私は自宅に人を入れない主義を貫いてきたので、最初はお引取り願い、後は近所のイタリアンで焼酎お湯割り一杯のみながら会った。昼間も数社の記者と会い、取材意図不明のテレビ2社は断る。記者たちの問題意識が逆取材できて結構参考になった。しかし、これはもしかすると相当大きな問題へ発展するかもという予感も拡がる。

表参道の古本屋で見つけたジョージ・オーウェル「戦争とラジオ」を買って読む。

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