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2006年12月 8日 (金)

M.シャンバーグ「ゲリラ・テレビジョン」

12月4日、東京国際大学で講義。4時限「国際報道論」、<情報>の不確定性について。

5時限は「報道表現演習」、当時の寺内内閣倒壊まで発展した富山の米騒動について。主役は女性たちであった。北日本放送の金沢敏子演出作品を例に新聞報道の視点と歴史発掘のテレビの視点について。

 帰路、自宅の近所の古本屋で、上杉博規ほか「美学理論の展望」を買った。中井正一について書かれた章を読む。

12月5日、同じく総合講座。住民へ公開された講座でNHK福岡05年制作の「ふたりの時を心に刻む」を観賞する。若年認知症にかかって記憶を失ってしまうサラリーマンを支える妻を描いた。残念ながら入賞を逸したが、心に染み込む作品だった。捨てがたくこの講座に取り込んだ。上映が終わって30分ほどの解説をする。「痴呆」が「認知症」になったのは04年12月であること、アルツハイマーは認知症の50%ぐらいだが、原因は脳内の細胞がなにかにとりつかれ破壊されるらしいこと、などなど。取材者と被取材者との適度の距離感の難しさについて。大量の感想文を持ち帰り、深夜まで、エイジングセンターの吉田専務理事から送っていただいたラ・フランスを味わいながら読む。中井正一の「作品は、投げかけるものと受けるものとの共同作業でつくられる」という言葉を思い出す。

12月6日、同じく「メディア環境論」と大学院の授業。1971年のマイケル・シャンバーグの「ゲリラ・テレビジョン」刊行の意味について。(日本版は74年、美術出版社刊) 

プロダクツからプロセスへ、放送のためのテクノロジーからコミュニケーションツールとしてのテクノロジーに置き換えた衝撃的な一冊だった。当時の欧州のフリーラジオ続出の状況やアメリカ西海岸を中心に起こったニューズリール運動、ビデオアーツの流れについて。「メディア生態学」の第一歩であり、「情報環境」は自然環境と並ぶ大切な環境問題であるという考え方の第一歩でもあったことなどを話す。しかし、ポータプルビデオ出現のイメージは、デジカメ時代の今の学生たちには伝わり難い。デジカメは、60年代末のポータブルビデオと70年代はじめのハンディカメラの登場という歴史の上に成り立った第三の波なのだが。

 合間に、大学院にいる中国からの留学生2人の修士論文の相談。書き直しを薦めたいが、締め切りが迫っていてなかなかままならない。まとめかたが難航。

12月7日、日大芸術学部で「テレビ演出論」の講義。テレビ演出におけるフィクションとノンフィクションの往復について。長嶋甲平の傑作「詩のボクシング」を例にしながら。

今期はやむを得ずの休講が多かったので、21日の補講をやることに決める。

 超党派議員がブッシュに提出したイラク問題の提案書が話題を呼んでいる。道路財源問題と並んで夜のニュースの中心だ。来年度一杯での撤退も明記されているらしい。夜中までCNNを見る。夜中の2時から、前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ作品、中国のリ・イーファン編集・監督、イェン・ユイ撮影・監督の「洪水の前に」がWOWOWで放送され、録画しつつ久し振りに再見してしまった。デジカメで撮影した144分の長編ドキュメンタリーだ。ナレーションはないが、まるでドラマをみるように人間が良く描かれている。

 

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