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2006年12月24日 (日)

12月18~24日

12月18日、東京国際大学で2コマの授業をすませ、J・ラスキン「ウオルター・リップマン、正義と報道の自由のために」(鈴木忠雄訳)を読む。リップマンは1922年「世論」を世に問うた。いまでも示唆多き本である。「トゥデイ&トゥモロウ」というタイトルのコラムを長い間連載し、アメリカの世論を動かしたジャーナリスト。私の事務所の社名と同じだが、偶然の一致で、特に意識したわけではない。私がリップマンをちゃんと読んだのはもっと後のことである。

 ところで昨日の「スタメン」(フジテレビ)に石原知事が出演。旅費問題、四男起用問題に苦しい弁解。都民の血税を湯水のように使って恥じない感覚は末期的だ。四男起用も「余人がいない」ことはない。あの程度のアーチストはうんかのごとくいるし、ボランティアも辞さないだろう。知事の頭の中に息子しかいなかっただけのことである。文学者が「李下に冠を正さず」を知らない筈はあるまい

自己過信に溺れた権力者の末路を見た感じ。「オリンピックに反対する者はたたき出す」という発言も問題である。反論を試みたとはいえ、キャスターたちも断固追及する気概が見えず情けなかった。特に、大田光がいつもと違っておとなしい姿勢を見せたのはやや意外。出演者への気づかいか。

12月19日、「総合講座」で毎日放送の澤田隆三演出のドキュメンタリー「ふつうのように」を上映、日本の社会が障害者に向き合う姿勢の変化を象徴するような二人の重度障害者の「ふつうの」生活の日常を描く。ノーマルぜーションという言葉がようやく耳にされだした頃の「地方の時代」入賞作品。終了後、ひとりの地元住民の方から「仲間のみんなに見せたい」と相談された。横浜の放送ライブラリーを教えたが、部屋に戻ってリストを調べたら保存されていた。よかった。

 

12月20日、大学と大学院は休講にしてもらい休み、メディア論研究会に出席。公共放送のあり方について議論する。

12月21日、日大で「テレビ演出論」の講義。夜は実相寺夫人との飲み会に出席する予定だったが、またまたすっかり忘れたまま京王線の電車に乗り、下高井戸で映画館に入ってしまった。テオ・アンゲロブロイスの「記憶のなかの風景」。

「叙情」という字がスクリーンに常にぶら下がっているような感じ、撮影のカメラワークは美しい。しかし、姉弟が父を求めて旅立つ。「旅芸人」の一座がそのまま登場するなど興味深かったが、特に国境を越えるシーンなどリアリティがなく、不満も残った。

12月22日、15時から仙台の仲間たちの忘年会。昨日に懲り、用心して早めに会場へ向かう。渋谷マークシティのライオン。幹事の大川くんの弟さんが逝去され、告別式と重なつたため欠席、高橋亮吉、葛西鉱二、武田晃幸、それに私の4人でささやかに。昼間からのビールでなんとなく気勢が上がらないうちに時間が来て解散。バスで帰る。

12月23日、渋谷のシネマライズでドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」を見る。

 昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞受賞作品。山形ではスケジュールの都合で見れなかったので楽しみにしていた公開だ。タンザニアの湖に放流され異常に繁殖したナイルビーチ。捕獲、加工、輸出、運搬などで町は活性化、恩恵に預る人と外れる人、明暗のもたらすすさまじい世界。まさに地獄である。切り身の主要な輸出先はECと日本だ。白身魚として私たちの食卓にも登場している。グローバル化に翻弄されたアフリカの現状をいやというほど見せつけられる。

初日なのに入りがいまひとつなのは予想外だった。シネマライズは全席指定席なので、切符を買ってからゆっくり夕食がとれるのは結構だが、座席はやや狭く窮屈だ。東武ホテルの中華店でチャーハンを食べる。

夜中の1時30分から、WOWOWでアニエス・ヴァルダの監督作品「落穂拾い」を見る。彼女が亡くなった後、パリのカルチェラタンの彼女いきつけの店に行ったこと、壁に小さな写真が一枚貼ってあったこと、その写真を見ながらパスタを食べたことを思い出す。

12月24日、テレビで有馬記念の中継を見る。ディープインパクトのラストラン。予想どうりの圧勝。伝説の名馬の走りに11万人が押し寄せ、大歓声。配当は120円だった。

夕方、CSのシネフィルイマジカで、「新世紀ブラジル」をやっていた。テリー・ギリアムの演出力に改めて感心しているうちに結局最後まで見てしまった。

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2006年12月17日 (日)

1212の会

今週は連日のように飲み会があって帰宅が遅くなり、ブログの更新を休んできた。単純に眠る時間を優先させただけである。一週間分をアツプする。

12月11日(月)は、大学で二つ講義を終えてから銀座のおおくら会へ。原田庸之助さんの誕生日パーティに出席。店は立ち飲み状態の満員だった。松尾羊一さんと話に夢中になっていたら12時を過ぎていた。タクシーで帰宅。

12日(火)の「総合講座」で長崎放送制作の99年「地方の時代」映像祭優秀賞受賞「ゆるすまじ」を上映。長崎の被爆者・山口仙治さんの活動を追ったドキュメンタリー。最後に加害者としての自覚を提起した本島元市長との対話があり、すれちがいが印象的。解説として、日本人のゆがんだ原爆観を越える動きについて、林京子さんのトリニティ体験記などを例にして話す。

終了後、緑ヶ丘の小料理屋「うえしま」で恒例の「1212の会」に出席。初期のハイビジョン開発時代にそれぞれ違う戦場で苦労した戦友たちの年1回のつどい。天野昭さん、手嶋毅さん河口洋一郎夫妻ら13人出席。料理がうまく、特に鯛めしが抜群だった。もともとは電通の故淵野平さんが始めた会、淵野さんの追悼の意を込めて毎年この日に集まる。その中からNHKの沼野さんが逝った。NHKエンジニアリングの本間さんが80を越えて元気に自動車を運転している。今日は夫妻でご出席。恒例の3000円プレゼント交換などを交えて遊ぶ。

13日(水)、大学で「メディア環境論」、大学院で「報道論研究」。合い間に研究室の片付け、資料類運び出しの準備を始める。下高井戸の本屋に寄り、武田徹「NHK問題」と魚住昭「国家とメディア」の2冊を買って読む。

14日(木)、日大芸術学部で講義。「クラウディアからの手紙」(日本海テレビ制作、99年「地方の時代」映像祭グランプリ作品)を素材に、美談の裏表を話す。夕食後、エリス・クラウすの新著「NHKvs日本の政治」(東洋経済刊)を読む。NHKニュースが如何にして現在の奇妙なスタイルとなったかを論証しているが、よく調べているが、やや類型的な視点も散見された。

15日(金)、夕方からテレビマンユニオンを訪ねてくれた女優のTさんと青山で食事。渋谷ユーロスペースでナイトショウの映画を見る。ハイウエイ何とかというタイトルだが脚本も演出もおよそ映画になっていない最低の作品だった。日本人監督がハリウッドで撮ったらしいが、恥を知ってほしい。金返せといいたいくらいだ。二人であきれ返る。気分直しにアリマックス4Fの英国風酒場でしばしオールドパーを飲む。深夜、タクシーでTさんを送って帰宅。

 16日(土)、15時からテレビマンユニオン会議室を借りて放送人の会の幹事会。前回金沢出張で欠席したので、担当の放送人グランプリの報告と次回へ向けての提案をする。終了後、近所の和食店で忘年会。いつもながらにぎやかで活力のある会であった。いまテレビ界で一番元気で意気盛んなシニアグループだろう。来年は結成から十周年を迎える。ただ、活動の方向が旧来のテレビ中心型で肝心の社会の中のテレビメディアの新しいありかたといった視野が開けてきていないことが課題として残っているように思う。

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2006年12月 8日 (金)

M.シャンバーグ「ゲリラ・テレビジョン」

12月4日、東京国際大学で講義。4時限「国際報道論」、<情報>の不確定性について。

5時限は「報道表現演習」、当時の寺内内閣倒壊まで発展した富山の米騒動について。主役は女性たちであった。北日本放送の金沢敏子演出作品を例に新聞報道の視点と歴史発掘のテレビの視点について。

 帰路、自宅の近所の古本屋で、上杉博規ほか「美学理論の展望」を買った。中井正一について書かれた章を読む。

12月5日、同じく総合講座。住民へ公開された講座でNHK福岡05年制作の「ふたりの時を心に刻む」を観賞する。若年認知症にかかって記憶を失ってしまうサラリーマンを支える妻を描いた。残念ながら入賞を逸したが、心に染み込む作品だった。捨てがたくこの講座に取り込んだ。上映が終わって30分ほどの解説をする。「痴呆」が「認知症」になったのは04年12月であること、アルツハイマーは認知症の50%ぐらいだが、原因は脳内の細胞がなにかにとりつかれ破壊されるらしいこと、などなど。取材者と被取材者との適度の距離感の難しさについて。大量の感想文を持ち帰り、深夜まで、エイジングセンターの吉田専務理事から送っていただいたラ・フランスを味わいながら読む。中井正一の「作品は、投げかけるものと受けるものとの共同作業でつくられる」という言葉を思い出す。

12月6日、同じく「メディア環境論」と大学院の授業。1971年のマイケル・シャンバーグの「ゲリラ・テレビジョン」刊行の意味について。(日本版は74年、美術出版社刊) 

プロダクツからプロセスへ、放送のためのテクノロジーからコミュニケーションツールとしてのテクノロジーに置き換えた衝撃的な一冊だった。当時の欧州のフリーラジオ続出の状況やアメリカ西海岸を中心に起こったニューズリール運動、ビデオアーツの流れについて。「メディア生態学」の第一歩であり、「情報環境」は自然環境と並ぶ大切な環境問題であるという考え方の第一歩でもあったことなどを話す。しかし、ポータプルビデオ出現のイメージは、デジカメ時代の今の学生たちには伝わり難い。デジカメは、60年代末のポータブルビデオと70年代はじめのハンディカメラの登場という歴史の上に成り立った第三の波なのだが。

 合間に、大学院にいる中国からの留学生2人の修士論文の相談。書き直しを薦めたいが、締め切りが迫っていてなかなかままならない。まとめかたが難航。

12月7日、日大芸術学部で「テレビ演出論」の講義。テレビ演出におけるフィクションとノンフィクションの往復について。長嶋甲平の傑作「詩のボクシング」を例にしながら。

今期はやむを得ずの休講が多かったので、21日の補講をやることに決める。

 超党派議員がブッシュに提出したイラク問題の提案書が話題を呼んでいる。道路財源問題と並んで夜のニュースの中心だ。来年度一杯での撤退も明記されているらしい。夜中までCNNを見る。夜中の2時から、前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ作品、中国のリ・イーファン編集・監督、イェン・ユイ撮影・監督の「洪水の前に」がWOWOWで放送され、録画しつつ久し振りに再見してしまった。デジカメで撮影した144分の長編ドキュメンタリーだ。ナレーションはないが、まるでドラマをみるように人間が良く描かれている。

 

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2006年12月 3日 (日)

「ゆれる」

12月3日、18時45分から下高井戸シネマで、遅れ馳せながら西川美和脚本・監督の「ゆれる」を見た。見るものの心を揺らす映画であった。脚本も見事だが、オダギリ ジョーと香川照之などの演技陣が充実しているし、演出は細部まで冴えている。師匠の是枝裕和「花よりもなほ」を越えて今年のベストワンの傑作だと思う。

帰宅して文春新書の「プレイバック1980年代」を読み、今期の試験問題原稿をプリントアウトする。明日提出の予定。

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2006年12月 1日 (金)

実相寺昭雄通夜

12月1日、17時30分から、湯島の麟祥院で行われた実相寺昭雄の通夜に出席。地下鉄の駅を出たところで今野勉に偶然会い、一緒に行く。帝国前なのに大勢の人が来た。弔花も名札の長い列、400近かったと思う。焼香も長蛇の列。あまりにも短かすぎる別れだった。

終わって、多くの友人たちと会う。部屋の奥に自然と旧TBS演出部のグループができ、鈴木道明さんをはじめ、高橋一郎、並木章、中村寿雄、今野と私、残ったdAグループ全員集合となった。そこに34年同期の大川、松岡ら、電通にいた中山。鯨津氏ら、技術スタッフの佐藤秀山、後藤勝彦ら、俳優の寺田稔ら、ビールと日本酒を飲みながら思い出話を。半分以上は聞いたことのある話だが、何回聞いても可笑しい。豊かなおかしいエピソードいっぱいの実相寺だけに話は尽きない。思えばテレビも青春時代だった。

並木が葬儀委員長。入院などの面倒もみていたらしい。昔から頼りになる男で、実相寺とはアボットコステロに匹敵するいいコンビだった。

原知佐子夫人とも廊下で立ち話。思ったより元気そうで安心。彼女には実相寺夫人になる前の63年に「思い出」という30分ドラマに主演してもらったことがあった。廃墟寸前の常磐炭坑で3日間のフイルムロケをしてスタジオ仕上げ。原さんは日本映画には珍しい知的で鋭い美しさを持った女優さんだった。「黒い画集」以来のフアンで、舞台も見ていた。43年前である。脚本は松本俊夫さんで彼女の起用に賛成してくれた。

 実相寺とは会うたびに「そのうちゆっくり話しようね」とお互いに言い続けたままの47年だったような気がする。22時過ぎ帰宅。これから改めてひとりでお別れ会をする。「おかあさん」シリーズの「あなたを呼ぶ声」「さらばルイジアナ」などの傑作について思い出したい。長い夜になりそうだ。

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