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2006年10月28日 (土)

セントルイスの記憶

10月26日、14時40分から日大芸術学部で「テレビ演出論」の講義、先日のATP授賞式に来日した「冬のソナタ」のディレクター・ユン・ソクホ氏や「チャングムの誓い」のディレクター・イ・ビョンフン氏らから聞いた話を援用しながら、「境界を越えること」をテーマに。歌手・沢知美さんの活動を描いた山陽放送の山内ディレクターの感動的な力作「ザ・ライン」を引用した。終了後、国際交流の仕事をやりたいという中国人留学生の質問につい長話をした。

帰宅して、カンチュウハイと餃子とチキンサラダで日本シリーズを見る。新庄選手の涙にひかれて見続けてしまった。日ハムが予想を覆して優勝。個人のパワーが地域を一時的にせよ活性化させるのをまざまざと見せたテレビ中継だった。おりしも、中断を決めた「ゆうばり映画祭」がNPOに基金が集まり復活するらしい。朗報だ。昨日の大学院の講義でふれたルネ・ベルジェの「テレフィっション」を再読する。日本版は1980年の刊行だった。深夜、シネフィル・イマジカでジャンニ・ミナ監督の「トラベリング・ウイズ・ゲバラ」を見る。キューバへ行きたくなった。

1027日、自転車を買い換えようと出かけたが、記憶にあった世田谷通り近辺の自転車屋はすでになく、他日を期してあきらめた。

深夜、CSで市川昆監督の「犬神家の一族」を見た。30年前の作品、よくできていて引き込まれるが、市川さんが再撮したくなる理由もわかるような気がした。

10月28日、朝食がてら衛星ハイビジョンでワールドシリーズを見る。カーディナルズが4-2で快勝、ワールドチャンピオンとなった。歓喜の選手群のなかに田口選手が息子を肩に、奥さんの姿も見えた。地元セントルイスでの勝利。

セントルイスはかつて一度だけ訪ねたことがある。名建築家サリーニンの「ジョンソン記念塔」とかつて大陸横断鉄道駅として名をはせたセントルイス駅を改築した「ステーション・マーケット」を見ることが仕事で、2日滞在した。

ジョンソン記念塔は、写真で見る限り磁石を逆さにしたような平凡なタワーだと思ったが、行ってみて驚いた。一日のなかで太陽の位置によってさまざまな表情を見せる。現地に行かないとわからないものだ。町のどこからでも眺められ、そのたびに表情が微妙に変化する。

サリーニンの計算のしたたかさに舌を巻いた。中は展望と展示、着工記録のビデオを買った。サリーニンの父親も建築家で、ヘルシンキのユニークな中央駅が作品のひとつである。威厳に満ちた巨大な顔が中央壁面の両側にある。北欧神話の登場人物であろうか。ここも写真だけではわからない光の建築だった。   

 ステーション・マーケットは市民との交流のためのしかけがいろいろ工夫されていて楽しかった。今ではワシントン、サンフランシスコ、横断鉄道の3大駅はいずれもマーケットプレイスにさまがわり、現代的コミュニケーションの場となっている。いずれも当時かかわっていた空間デザインのコンセプト作成の仕事に大いに役立った。

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2006年10月25日 (水)

10月23,24日

10月23日、創立記念日とかで大学が休み。「DAYS JAPAN」の購読継続の申し込み、会合出欠の返事など、ワールドシリーズの中継をみながら。今日はデトロイト・タイガースが勝った。一勝一敗。日本シリーズと同じ状況だ。「地方の時代」映像祭の件で電話数件、有志によるNPO設立を選択肢のひとつとして考えたいと思っているのだが。やはり先立つものの工夫が先決だろう。26年の軌跡をまず記録する作業をと、川崎開催時や川越移転時の資料をいろいろひっくり返してみる。

 思えば、1981年の春、日大芸術学部の非常勤講師懇談会で、柳治郎さんと会ったのが映像祭とかかわる第一歩だった。乾杯が終わって、知人が何人もいたので、その輪へ加わろうと歩き出したとき、「村木さん」と声をかけられた。ふりむくと白髪のお年寄りが立っていて、「ちょっと、お話を」と有無を言わさぬ口調で言われた。柳さんと会った最初だった。「地方の時代」映像祭を始めたこと、今年から作品コンクールをやること、審査委員を頼みたいことを一気に言った。興味はある、後日、詳しく伺いたいと私は答えた。「では、明日」、柳さんらしい短兵急な二の矢だった。当時私はテレビマンユニオンの社長であった。自分の自由に出来る時間がそうある訳ではなかったが、勢いにおされて翌日の約束をした。「では明日」と言って、まるで用事はすんだ、ほかに興味はないという感じで柳さんはさっさと帰っていった。歓談の輪の中に入って、私はその後姿を見ていたのを覚えている。

 第一回の審査会は、鶴見和子さん、大島渚さん、岡本太郎さん、筑紫哲也さん、田原聡一郎さん、色川大吉さんなど、多士済々のメンバーだった。作品は面白くて夢中で見た。最終日、委員会は大混乱の記憶も今では笑い話のひとつだ。

それから10年、審査委員を務めた。プロデューサーをやることになったのは1992年のことだ。いろいろないきさつがあったが、別の機会に譲る。映像祭はさらに川越移転と、一見順調に見えて波乱万丈の軌跡だったといえよう。26年間のパンフレット全部を持っているのは多分もう私だけだろう。これを記録として残さなければ、と切に思う。

10月24日、16時からATP賞贈賞式典に出席。大学の総合講座は休みにさせてもらった。ATPとは、社団法人テレビ番組制作会社連盟。

 ATP賞を始めたのは1984年、ATP結成当初からやりたいと思っていたのだが、実現するまで2年かかった。82年3月、結成して最初に取り組んだのが制作費の問題、金額の多少よりも設定方法の不明朗さの是正だった。83年「制作費ハンドブック」完成。それは必然的に、著作権問題への取り組みとなる。勉強会や合宿を繰り返し主張鮮明な「ATP著作権ハンドブック」をつくったのが1985年、1年前にATP賞を始めた。作り手が選ぶ作り手の賞という最初のユニークなコンセプトだ。この二つが、86年の迅速な社団法人化へつながり、ATPの基礎ができたのである。当時の理事長・石川甫、浅野、武田両副理事長、小原事務局長はじめ一緒にがんばった何人かは鬼籍に入り、当時の事情を知る人も少なくなった。これも歪曲されないうちに記録しておかなければなるまい。

 いまやATP賞は業界最大のショウとなった。連盟発想者のひとりとして、設立を提起した者として嬉しいことではあるが、制作会社のポジションが難しい時代になってきたのも事実だ。<制作会社>の基礎デザインそのものの修正が必要な時を迎えつつあるのだ。

 贈賞式では、壇上で新人賞のプレゼンテーターを勤めた。ここ数年、役割が固定した感があるが、新人賞は、初めてディレクターをやった制作者の中から選ばれる。嬉しい役割で、光栄に思っている。パーテイは相変わらず盛大だった。松尾羊一氏、松前洋一氏とタクシーで豪徳寺の寿司屋「一」へ行く。雑談から実現してしまった小田急沿線住人の第一回飲み会となった。話題はころころ変わったが、談論風発、話は尽きなかった。続きは今度ということで、日本シリーズの結果を聞いて豪徳寺駅で解散。

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2006年10月22日 (日)

放送人の会

10月21日、15時からテレビマンユニオンで「放送人の会」の幹事会、久し振りの出席だ。

放送人の会は、9年前に放送の現状を憂え、改革の方途を語り合おうと制作現場の経験を持つOBを中心につくられた任意の集まりである。15人ほど集まり、盛り沢山の議題について話しあった。実に多彩な活動がボランティアで展開されている。みんな60代、70代、おそらく、放送界で一番元気な老人たちであろう。

 終了後、恒例の飲み会。表参道の居酒屋でテーブルを囲んだ。今野勉、松尾羊一、久野浩平、石井清司、鈴木紀典、伊藤雅浩、それに私。ビールで乾杯の後、焼酎水割り、ボトル2本が空いた。地方局デジタル化をめぐり議論は盛り上がり、激論が続いた。電車で帰宅、CSでチェ・ゲバラのドキュメンタリーを見る。

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2006年10月19日 (木)

朝日誤報のその後

1018日、大学院の講義を終えてから、久し振りに銀座のおおくら会へ寄って呑んだ。原田庸之助さんに会う。元電通企画室長の大先輩だ。相変わらず水曜には映画を見ておおくらへ寄るのが日課らしい。舞台で活躍している女優のTさんを紹介される。11月放送の「水戸黄門」に出演しているとのこと。閉店後、ママとTさんと3人で軽く食事、タクシーでTさんを送って帰宅、午前2時半だった。

1019日、日大芸術学部で授業。「地方の時代」グランプリのNHK作品について語る。

朝日新聞の誤報問題のその後。

 担当記者は映像祭当日現れたので、抗議とともにじっくり一日みてもらった。理解してくれたと思う。13日の朝刊にグランプリ作品の紹介と共に「映像祭の来年度の開催はまだ確定していないが、続く制作者たちを勇気づける場であり続けてほしい」という趣旨の記事を掲載。最初からこう書けば問題はないのに。

精一杯の訂正記事と認めてこれ以上は追求しないが、いったん出た記事は消すことはできないし、それで受けた読者のショックは元へ戻せないことを肝に銘じてほしいものだ。 ただし、当日再放送予定のグランプリ作品は、北朝鮮核実験の緊急特番放送のため延期された。いまのところ未定らしいが、そのうち再放送されるだろう。映像祭のシンポジウムは12月10日16時、衛星第二で放送される。ただし、90分の内容が50分ほどに編集される。活字では、3月末に刊行予定の「06年『地方の時代』映像祭・記録」に全文収録される。

スタジオジブリからFAXと電話、機関紙への原稿執筆依頼、引き受ける。

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2006年10月14日 (土)

10月14日 休日

10月14日、休日。久し振りにゆっくりした時間をすごす。午後はテレビでサッカーを2試合、横浜マリノスVSガンバ大阪、終了直前にガンバが追いついて1-1。見ごたえのあるゲームだった。続いてジェフVSアントラーズ。日本代表6人を擁するジェフが4-0で圧勝。阿部がハットトリック。アントラーズ不振。18時からBS朝日で伊東忠太の番組、「妖怪をみた男」。山形テレビの制作だ。仕上がりはいまひとつだが、忠太フアンとしてはこたえられない。ディスクに録画した。ここ十年くらいで、私は都内の忠太の建築作品は全部見てきたが、山形県下の晩年の忠太が愛したという神社は初めて見た。来年はドキュメンタリー映画祭で山形に行くつもりだから、寄って訪ねてみよう。20時から「加藤登紀子コンサート」の中継。お登紀さんが自然に流れをつくっていたのがすがすがしかった。「鶴見和子さんを偲ぶ会」の案内に出席の返事を出す。大学がある日だが、この会にでない訳にはいかない、休講とすることを決める。国連安保理では北朝鮮制裁決議案がいま採決寸前、先ほどのニュースで23時頃と聞いたが、中国とロシアがまだ変更要求をしていて遅れているらしい。市川雷蔵の映画を見たかったが、北朝鮮の暴走を呼ぶ危険が大きそうだ。CNNに切り替える。

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2006年10月13日 (金)

10月13日・萩の会に出席

1013日、懐かしさ一杯の集まりに出席した。「萩の会」という仙台市立愛宕中学の在京卒業生有志の会である。1~3期生有志で2年に1度くらい開かれていて、今回は4回目、46期生を含めて賑やかだった。八重洲地下街で時間をつぶしすぎ、着くのが遅れた。乾杯の挨拶が予定されていたらしく、顰蹙をかう。大川君が代役をしてくれたらしい。申し訳なし。

 愛宕中学は、戦後の学制改革で第十中学として誕生、六三制の荒町小、向山小の受け皿だった。私は2期生。入学したとき、新設校のため校舎はまだなかった。教室は小学校を借りたが、机も椅子もない。私たちは家からミカン箱を持っていって机代わりとした。教科書もクラスに数冊という状況だった。

机と椅子が到着したのは6月頃だった。新しい木の香りが嬉しかった。3年生になる頃やっと篤志家の土地の寄付があって新校舎ができた。山の上だった。毎日、泥濘の坂道を歩いた。つらい毎朝だったが、それが風を滅多にひかない体を作るのに役立ったように思う。

 気のおけない中学時代の友人たちとは時々会って酒を呑むが、こんな楽しい酒はない。

みんな古希を迎えている。あっと言う間の人生だったような気もする。会の終了後、同期の友人たち8人ほどで近くの居酒屋で呑みなおす。相変わらず酒癖の悪いのもいてやや閉口したが、まあこんなものだろう。同方向の武田夫妻と一緒に地下鉄で帰る。

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10月13日

10月12日(と書きだしたが既に13日になっていた)

日大芸術学部で「テレビ演出論」の講義、今年は休講が多くて少し気が引けている。少しピッチをあげなければと焦るばかり。「地方の時代」映像祭の話をする。パンフレットを1部しか持ってなかったので配布できず残念。終わってから質問にきた女子学生の熱心さに応えて進呈した。

電車の中で、佐々木信夫「途方自治体をどう変えるか」(ちくま新書)を読む。本来、昨日の東京国際大の総合講座で「面河村騒動記」(愛媛テレビ)の上映があり、その解説の参考のために買ったのだが、読む時間がなくその役には立たなかった。

 グーグルがYouTubeを買収、日本ではCSチャンネルの再編成を促す報告書が出た。CSは内容の多様さという意味ではかなりのところまできて私自身は楽しんでいる。地上波をあまり見なくなったほどだ。しかし、ドキュメンタリーは圧倒的に少ない、特に地域の。国会テレビも一番大事なときに消えてしまった、などの問題が棚上げされたままである。総務省のメディア大企業実現を目指すという方向はどこか狂っていないか?衛星会社が100億もの利益をあげる一方で、編成事業はほぼ1社独占、意欲的チャンネルは青息吐息、の現状は合併吸収で大企業の寡占を強めても解決はしない。メディア行政は、農業、林業、漁業、年金、福祉、教育…と同様に破綻の繰り返しである。メディア自身がそのことを検証しようとする意欲も姿勢もないのだから、ややお先真っ暗、しかしそんなことも言っていられない。ローリー・ライルの「ジョージア・オキーフー崇高なるアメリカ精神の肖像ー」(道下匡子訳)を再読し、アメリカで買ったスティーグリッツの彼女を撮った写真集を引っ張り出して再見する。

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2006年10月11日 (水)

10月11日・志賀信夫さんの会

10月11日、朝「テレビマンユニオンニュース589号」が届く。特集は私が書いた。「WEB2あるいはパーソナルメディアの時代と都市の記憶」25枚である。

 東京国際大学で「メディア環境論」の講義。デジタル時代の著作権問題について、電子映像の考え方の難しさ。話はそれて、「カサブランカ」の舞台となった「リュックのバー」のモデル「アリゾナ」の跡をブダペストでみてきたことを話す。ついでに、イングリット・バーグマンが必死に守ったのは汎ヨーロッパ運動でナチから追われている男がモデル、この男が逃亡に成功してやがてEC今日のEUをつくるに至ったのであるという話もした。会合のため早めに終了、次の大学院の授業は休講にして、新宿中村屋へ。志賀信夫さんの喜寿のお祝いの会である。指名されて即席の祝詞を述べる。放送批評懇談会の人たちを中心にいろんな人に会った。松前洋一さんと近くメシでも、と約束する。

夜、いただいた「年間テレビベスト作品06年」を読む。第3期第9集となる。誰にもまねできない偉業である。松岡正剛氏の「日本という方法」を読む。情報編集国家・日本という史観が面白い。西田幾多郎の部分が特に。

私の祖父・維夫は旧制四高(金沢)教官の頃、西田と親交があった。岩波書店から出た西田の金沢時代の日記や書簡をみるとしばしば登場する。4年ほど前から西田幾多郎とハイデッガーを少しづつ読み始めたのはそのためでもある。

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2006年10月 7日 (土)

6日朝日新聞夕刊の誤報

 10月6日、「地方の時代」映像祭の本番を明日に控え、会場諸準備とリハーサルを終えて深夜帰宅し、夕刊を見て驚いた。朝日新聞に「映像祭が打ち切り」と見出しになっている。  

 東京国際大学が今年で資金提供を打ち切ることは事実であるが、映像祭は実行委員会による共同主催である。主催者のNHKも民放連も、新たな仲間を見つけて継続しようということで合意している。その努力をはじめたところで、打ち切るつもりはまったくない。ただ来年の開催地はまだ未定のため、いまのところ白紙、ということは、朝日新聞記者の質問に3度にわたって説明し、彼は了解の上、7日に会場に取材に来ると約束したはずである。記事は誤報そのものである。

 天下の大新聞(最近は疑問符が多いが)がこのような単純な誤報を平気で出す神経が信じられない。すくなくとも、取材対象との信頼関係は大きく崩れた。明日、記者がきたら直接問いただすつもりだ。経過はいずれ報告したい。

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2006年10月 5日 (木)

「地方の時代」映像祭(3)

 今年は、放送局部門入賞作のレベルが高かったが、市民・自治体・CATV部門の作品にも力作が多かった。市民では、立命館アジア太平洋大学の市岡康子ぜみの学生たちがつくった「信仰の灯し火 古要舞・現代に生きる神と人のかたち」が優秀賞に、中央大学・松野ゼミの学生たちの制作した「61年目の祈り~青梅に墜落したB29」が奨励賞に入選した。自治体では、三島市役所の「三島の歴史を探る『石油コンビナート進出阻止住民運動』」が優秀賞に、CATVでは「不景気の忘れもの」が奨励賞に入選、また、「余市『竹鶴政孝物語』」がスコットランドロケの美しい映像が目立って審査委員会推賞に選ばれた。

 放送局部門の審査委員会推賞には札幌テレビが盲目の少女を追った「まっすぐに 智華子」と沖縄朝日放送の辺野古の600日の座り込みを追った「海にすわる~辺野古600日の闘い~」の2作品が選ばれた。

 私個人としては、信越放送の「平吉さんの李平」やNHK奈良の「座敷びな」あるいは山陽放送のハンセン病を追ったものなどの作品が選に漏れたことが残念だ。入賞のレベルにある秀作であった。

 ところで入賞作は、9月7日にNHKのなかにある放送記者クラブで発表された。私が説明したのだが、記者たちの反応はほとんどなく、関心は低かった。参加した地方の人たちは待ち望んでいた結果をおそらくインターネットの発表(ほぼ同時刻に行われた)で知っただろう。彼らは翌日の新聞などを待ってはいない。翌朝の新聞にでないことを知っているからだ。案の定、伝えてくれた新聞はほとんどない。地域ドキュメンタリーについての放送担当記者たちの無関心と不勉強は来るところまで来てしまったと私は思う。テレビを駄目にしているのはもちろん制作者にも経営者にも、そして視聴者にもあるが、新聞記者の責任放棄もおおきいのではないか、と思っている。放送記者クラブは一体なんのためにあるのか?放送に関するまともな記事がほとんどないことをどう考えているのか?聞いてみたいところだ。

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「地方の時代」映像祭(3)

 今年は、放送局部門入賞作のレベルが高かったが、市民・自治体・CATV部門の作品にも力作が多かった。市民では、立命館アジア太平洋大学の市岡康子ぜみの学生たちがつくった「信仰の灯し火 古要舞・現代に生きる神と人のかたち」が優秀賞に、中央大学・松野ゼミの学生たちの制作した「61年目の祈り~青梅に墜落したB29」が奨励賞に入選した。自治体では、三島市役所の「三島の歴史を探る『石油コンビナート進出阻止住民運動』」が優秀賞に、CATVでは「不景気の忘れもの」が奨励賞に入選、また、「余市『竹鶴政孝物語』」がスコットランドロケの美しい映像が目立って審査委員会推賞に選ばれた。

 放送局部門の審査委員会推賞には札幌テレビが盲目の少女を追った「まっすぐに 智華子」と沖縄朝日放送の辺野古の600日の座り込みを追った「海にすわる~辺野古600日の闘い~」の2作品が選ばれた。

 私個人としては、信越放送の「平吉さんの李平」やNHK奈良の「座敷びな」あるいは山陽放送のハンセン病を追ったものなどの作品が選に漏れたことが残念だ。入賞のレベルにある秀作であった。

 ところで入賞作は、9月7日にNHKのなかにある放送記者クラブで発表された。私が説明したのだが、記者たちの反応はほとんどなく、関心は低かった。参加した地方の人たちは待ち望んでいた結果をおそらくインターネットの発表(ほぼ同時刻に行われた)で知っただろう。彼らは翌日の新聞などを待ってはいない。翌朝の新聞にでないことを知っているからだ。案の定、伝えてくれた新聞はほとんどない。地域ドキュメンタリーについての放送担当記者たちの無関心と不勉強は来るところまで来てしまったと私は思う。テレビを駄目にしているのはもちろん制作者にも経営者にも、そして視聴者にもあるが、新聞記者の責任放棄もおおきいのではないか、と思っている。放送記者クラブは一体なんのためにあるのか?放送に関するまともな記事がほとんどないことをどう考えているのか?聞いてみたいところだ。

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「地方の時代」映像祭(3)

 今年は、放送局部門入賞作のレベルが高かったが、市民・自治体・CATV部門の作品にも力作が多かった。市民では、立命館アジア太平洋大学の市岡康子ぜみの学生たちがつくった「信仰の灯し火 古要舞・現代に生きる神と人のかたち」が優秀賞に、中央大学・松野ゼミの学生たちの制作した「61年目の祈り~青梅に墜落したB29」が奨励賞に入選した。自治体では、三島市役所の「三島の歴史を探る『石油コンビナート進出阻止住民運動』」が優秀賞に、CATVでは「不景気の忘れもの」が奨励賞に入選、また、「余市『竹鶴政孝物語』」がスコットランドロケの美しい映像が目立って審査委員会推賞に選ばれた。

 放送局部門の審査委員会推賞には札幌テレビが盲目の少女を追った「まっすぐに 智華子」と沖縄朝日放送の辺野古の600日の座り込みを追った「海にすわる~辺野古600日の闘い~」の2作品が選ばれた。

 私個人としては、信越放送の「平吉さんの李平」やNHK奈良の「座敷びな」あるいは山陽放送のハンセン病を追ったものなどの作品が選に漏れたことが残念だ。入賞のレベルにある秀作であった。

 ところで入賞作は、9月7日にNHKのなかにある放送記者クラブで発表された。私が説明したのだが、記者たちの反応はほとんどなく、関心は低かった。参加した地方の人たちは待ち望んでいた結果をおそらくインターネットの発表(ほぼ同時刻に行われた)で知っただろう。彼らは翌日の新聞などを待ってはいない。翌朝の新聞にでないことを知っているからだ。案の定、伝えてくれた新聞はほとんどない。地域ドキュメンタリーについての放送担当記者たちの無関心と不勉強は来るところまで来てしまったと私は思う。テレビを駄目にしているのはもちろん制作者にも経営者にも、そして視聴者にもあるが、新聞記者の責任放棄もおおきいのではないか、と思っている。放送記者クラブは一体なんのためにあるのか?放送に関するまともな記事がほとんどないことをどう考えているのか?聞いてみたいところだ。

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2006年10月 1日 (日)

「地方の時代」映像祭(2)

(承前)

優秀賞の「NNNドキュメント06 カナリアの子供たち 検証・化学物質過敏症」(日本テレビ)は東京民放キー局久々の参加作品だ。東京も地方のひとつなのだが、キー局は当初は参加していたが次第に足が遠のいていた。会場に来る人も少ない。

久し振りのこの作品は力がこもっていた。子供たちのなかに化学物質過敏症が拡がっている。頭痛や不整脈、記憶障害などである。

 農村部ではヘリコプターによる有機リン農薬散布が原因といわれている。活性炭入りのマスクをつけて登校し、しばしば別行動せざるを得ない子供も増えてきた。群馬県ではヘリ散布自粛を要請した。だが、国は因果関係が100%立証されていないとして何等対策を講じようとしていない。番組では、取材困難といわれている過敏症に苦しむ何組もの親子を丹念に取材し、その実情をレポートして行政のありかたを問うドキュメンタリー(55分)。タイムリーで、すぐれた問題提起が光っていた。

賞には漏れたが、「自殺大国に潜む影」(新潟総合テレビ)も力作だった。新潟県の自殺率は際立って高く、中山間部の老人たちに集中している。その原因のひとつは、有機リン酸系薬剤の空中散布にあるという研究成果が出ている。日本の農業を支えてきた高齢者たちを襲ううつ病との関連が問題視されている。タブーの壁を越えながらの取材が光っている。

 優秀賞の「散華」については先日書いた。「「一億人の富士山スペシャル いつになったら 詩人 金子光晴」(山梨放送)は、完成度よりも制作意欲と大胆な手法が評価された。

 古来、日本を象徴する名山とされてきた富士山、しかし、詩人・金子光春はその富士を戦時中に疎開した山名湖畔で「糞面白くもない」と書いた。

それから60年、山麓にはいまでも演習地が広がりそれが観光化されているという転倒した現実がある。

 戦争非協力を貫いた金子光晴はなぜそう書いたのか、舞踏家・田中眠が金子の足跡をたどり、映像と朗読でその魂に迫り、いまの日本を問うドキュメンタリー(47分)。一億人のひとりを主張する田中眠を追う番組は、日本の現状を鮮やかに照射する。テレビの商業主義に媚びてない制作姿勢がさわやかだ。

 特別賞の「広島、長崎を伝えたい―ある市民ジャーナリストの軌跡―」(長崎放送)は、元ラジオディレクター伊藤明彦さん(69歳)を描いた。伊藤さんは、70年の退職後、アルバイトをしながら全国各地を訪ねて約1000人の被爆者の肉声をテープに記録した。そして8時間40分におよぶ被爆者の声を収録した音声作品のCDを製作、約700セットを全国の公共施設へ寄贈する活動を続けてきた。

 番組は、一市民ジャーナリスト伊藤さんの活動を記録し、被爆者たちの声を紹介しつつジャーナリストとはなにか?の課題にせまろうとする(48分)。制作はかつてグランプリも受賞したことのあるベテランディレクターだが、伊藤さんの活動に敬意を表した特別賞となった。(この項つづく)

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