« ブダペスト日記(1) | トップページ | 「地方の時代」映像祭(1) »

2006年9月21日 (木)

ブダペスト日記(2)

ブダペスト日記(2)

9月16日

8時までぐっすり寝た。元気回復。ホテルで朝食後、出発。地下鉄に乗ってまっすぐ地質学研究所へ。今日は道も間違わず、開いていた。入場無料。「ブダペストの世紀末建築」日本語版があったので絵葉書2~3枚と一緒に買う。中は3階までゆっくり見る。帰りにお土産にと鉱石の塊をくれた。オパールが入っているという。好意に感謝。

 地下鉄で、オペラ座へ。中の一部を見てから、向かいの通りの新劇場(ウーイ・シーンハーズ)を見る。レヒネルの弟子のライタ・ベーラのデザイン。かつてはパーリジアーナというナイトクラブだった。今でもモダンデザインとして十分通用するくらい斬新だ。

オペラ座から二つ先の通り、ナジメゼー通りへ行ってみた。「ブダペストのブロードウエイ」といわれた通りである。かつてはオペレッタ劇場が乱立していた。劇場でもあり、居酒屋、キャバレーなどを複合した機能をはたしていた。最も有名だったのが20番地の、映画「カサブランカ」のリックのバーのモデルとなったアリゾナであった。ミス・アリゾナと言われた人気の女主人シュガール・ミツィは元踊り子だった。最後は行方不明という数奇な運命をたどる。監督のマイケル・カーチスもブダペスト出身、映画会社が国営化されたのを機にアメリカへ亡命し、ハリウッドへ移った。ちなみに映画でイングリッド・バーグマンが身をもって守って亡命させたのが汎ヨーロッパ運動のリーダー、今日のEUのはじまりをつくった男がモデルである。彼の母親は日本人だった。

当時、大繁盛していたアリゾナは、いま訪ねてみると、小さなホテルになっていた。入り口だけはミス・アリゾナを含めて当時を偲ぶ写真が数枚張ってあり、少なくとも私が立っていた時間は訪れてシャッターをきる人が途絶えることはなかった。栄華盛衰を感じる。

アリゾナも映画になったらしい。カーチスはこちらの方を作りたかったのではないか。

近くのインド料理店で昼食、カレーとコーラを頼んだ。再び、三度、地下鉄を乗り継ぎ、こういうときは一日券1150FTが便利だ。リスト記念館とコダーイ記念館へ。

リスト記念館はこじんまりした展示だが、フアンにはたまらないだろう。コダーイ記念館は改築中で休館中。英雄広場へ向かう。広場に面した西洋美術館へ。ピカソ展とレンブラント展をやっていた。どちらも小規模なものでのぞいただけ。常設展ではやはり、エル・グレコとブリューゲルが圧巻だった。真向かいの現代美術館は割愛し、市民公園のヴァイダフニャ城を眺めて帰路へ。地下鉄一号線で帰る。ヴェルシュマルティ広場で偶然いいことがあった。広場の一角でブラスバンドの一団が野外演奏をしていた。お世辞にも上手ではないのだが、集まった50人ほどの市民の暖かい拍手と歓声に心温まる交流風景がみられた。得した気分でホテルへ。これで十分と、オペラをみるのはやめた。

夜食はホテルでお気に入りのグラーシュそれにチキンのソテー、温野菜のサラダ。JSTVという日本のテレビを見た。NHKニュースのあとにタモリの番組あり、フジテレビのドラマあり、混合ぶりが不思議なチャンネルだった。

9月17日

ホテルで朝食後、早めに9時過ぎ出発。地下鉄

でブダペスト西駅

へ。券売機が故障していて、コインが入らない。切符売り場もまだしまっている。見ていると、みんなそのまま乗っている。あまり不思議そうな様子をみせないのは良くあることなのだろう。朝早くで検札もなく、私も一駅だけただで乗ってしまった。ブダペスト西駅はエッフェル塔をつくったエッフェルの設計だ。両側の古い建造物を生かして真ん中だけガラスと鉄でつくったものだ。当時は相当モダンだったろう。ケチケメート行きの切符を買う。11時06分発、13番線、1974フロント。表示がなく、タイムテーブルもない。切符売り場のお姉さんがメモ用紙に走り書きした時間とホーム番号を頼りに止まっている電車に乗った。奮発して一等車、がら空きだった。この調子だと待たされるかと思ったが、定刻、アナウンスもなく発車。ホッとする。12時26分着予定が10分遅れでケチケメート着。地図を頼りに市内を目指して歩く。アールヌーボーの異様な装飾宮殿、内部は美術館、入場無料。自由広場からコチューシャ広場へ、レヒエル・エデンの市庁舎はさすが見ごたえのある世紀末建築である。広場の噴水も凝っている。裏手にあるハンガリー写真美術館へ行く。玄関の階段で女性がひとりアルバムを見ている。女子大生風の観光客かと思ったら、切符売り場の担当だった。暇をもてあましていたらしい。客は私一人だった。しばらくロビーのソフアで休憩、職員は女性一人らしい。残念ながら英語をまったく解せず、対話にならない。ハンガリーは、写真の分野でも、クレス・ジェルジ、ケルテス・アンドレ、ブラッサイ、キャパなど多士済々の世界的な写真家を生んでいる。期待をするなという方が無理な美術館だが、内容はいまひとつ。何を見せたいのかよくわからなかった。

 コダーイ記念館をパスして駅へ戻る。15時26分のブダペスト行きに乗る。一等の切符を買ったのだが、すいていたので二等の座席に座った。缶ビールとパン、うとうとするうちにブダペストに着いた。地下鉄に乗り換えてホテルへ。

9月18日

 エリザベート妃のハンガリーでの拠点だったゲデレー宮殿へ行く予定だったが、月曜日なのを思い出し、調べたらやはり月曜日は休館だった。取りやめ。ホテルを出てぶらぶら歩いてエリザベート橋のたもとにある、ブダペスト最古の旧教会へ行ってみる。オスマントルコ占領時代のくぼみが保存してある。その隣り、古代ローマの小さな遺跡、公園にはエリザベートも愛したという詩人ペテーフィ・シャーンドルの銅像がある。1848年の独立革命はペテーフィの「立て、マジャールの民よ!」から始まった。3月15日だったのを記念して3月15日公園という。ハプスブルグ相手の独立戦争だから、いわば敵方の詩人なのに、エリザベートは愛読していたという。その胸中を考えたかった。ヴァーツィ通りを散策していて、孫娘へのおみやげに民族衣装の人形をふたつ買う。コーヒーを飲みながら新聞を読む。「ブダペスト・タイムス」は今週、1956年の秘話を特集するという。

第一回、基点となった場所はVaci通り38のある部屋に集まった会合からだった。その現場を見たくなり、地図で確かめると西駅のそばだ。早速、地下鉄

を乗り継いで西駅

へ。降りて探していたら雨が降ってきた。番地の場所はわかったのだが、建物は新しくなっていた。念のためドイツ語版を見たら、そちらには番地の記載はなかった。駅に隣接するシティセンターに寄り、本屋で1956年の写真集を2冊買う。合計1万4000フロント、最後の買い物だ。オペラ座の近くへ戻り、カフェ・ミューヴェスでコーヒー一杯、かつてのカフェ・ヤーパン、現在は本屋に寄り、しばし棚を眺める。さらに、旧パリジャンデパートの跡地に寄る。改築工事中だが残されたファサードに像の彫刻が並んでいる。まるで像の行進だ。荷物が重く、地下鉄で帰る。ブダペスト最後の夕食は、グヤーシュとチキン。ホテルで軽くワインを飲む。テレビはサッカーとNHKニュース、とリビアの泉。「ブダペスト・サン」紙によれば、ニューヨークのタイムズスクエアにハンガリー1956の巨大な写真が2枚展示されたという。写真を見たら小さく「ハンガリー革命は映画ではありません」と書いてあった。広告主はハンガリー観光局だった。

9月19日

 朝食後、ゆっくり荷物をまとめて11時半過ぎにチェックアウト、ゲデレーへ行こうか、センテンドレのマルギット美術館へ行こうか迷うが、エールフランスの電話がつながらず、リコンファームできない。不安を覚え、結局外出はやめて空港へ。空港で予約を確認する。荷物を預け、カフェでコーヒーとサンドイッチで昼食、いよいよブダペストを離れる日がきた。パリのシャルルドゴール空港で成田行きへ乗り換え。B2ゲートからF2ゲートへバスで移動、90分ほどの待ち時間を空港で過ごす。デューティフリーの店はずいぶん充実されていた。ビールを飲んで飛行機へ。

9月20日

17時40分、予定より20分早く成田着。家のテレビで、安部新総裁選出のニュースと、CNNの生放送でベネズエラ大統領の痛烈なブッシュ批判演説を見た。

(この項おわり)

|

« ブダペスト日記(1) | トップページ | 「地方の時代」映像祭(1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ブダペスト日記(1) | トップページ | 「地方の時代」映像祭(1) »