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2006年9月30日 (土)

「地方の時代」映像祭(1)

 下高井戸シネマで、中村高寛監督の「ヨコハマメリー」を見た。戦後、横浜伊勢崎町に

立っていたメリーと呼ばれていた白塗りの街娼のドキュメンタリーである。さまざまな証言者が語るが、ホモのシャンソン歌手ガンジローの語りと歌、それにメリーがいる風景をとらえた森英夫の写真が心を打つ。ラストシーンは衝撃的である。

 秋学期、後半戦の第一週が終わった。久し振りに大学へ行った。合間に、テレビマンユニオンニュースに書いた原稿の校正、ブダペストへ行く直前に書いたもの、約25枚。

来週の土曜日、7日から「地方の時代」映像祭が始まる。今年は26回目、四半世紀かかわってきたことになる。最初の10年は審査委員として、後半はプロデューサーとして、毎年毎年百本を越える地域ドキュメンタリーを見続けてきた。初代委員長は先日亡くなった鶴見和子さんだった。凛とした和服姿が瞼に残る。さまざまなことを教わった。

 途中、一年の空白はあったが、

川越市

で再開して4年目となる。

 今年のグランプリは、NHK報道局制作の「ひとり 団地の一室で」にきまった。大規模団地の孤独死を扱ったドキュメンタリーだ。

かつて高度成長期に「夢の住まい」といわれ、入居希望者が殺到した団地で何かが起きはじめている。建物は老朽化し、住民が年々減少していく大規模団地で相次ぐ「孤独死」である。

スタッフは、

千葉県松戸市

の常盤平団地に住み込み取材、実際に4件の孤独死に遭遇したという。

リストラ、離婚などで社会とのつながりを失った男性たちが孤立していく姿と、住民たちによって立ち上げられた「孤独死予防センター」の活動を追いながら、団地の孤独死に凝縮された日本の現実をみつめたドキュメンタリー(52分)。

 スタッフの努力は伝わるし、よくまとまった作品だが、欲を言えば「ご近所の底力」風のコミュニテイ観をつきやぶるものが欲しかったと個人的には思う。

 私は、優秀賞の「消えた産声」(中京テレビ)の方が上ではないかと思った。

 産科の医者がいなくて近くの病院でお産ができなくなった、というこえが拡がり始めた。地域の産科医療の実態を取材、臨床研修制度、医師の自由市場、医療事故、産科病棟の閉鎖などいくつかの実例の中から、改革と規制緩和の現実が浮かび上がる。それはきわめて深刻な事態であった。この2年ほどで急速に進んだ医療行政の規制解除などを問い、住民たちの不安と医師たちの苦悩を描いたドキュメンタリー(55分)で、今年の民放の報道番組部門の最優秀賞にも決まった作品である。女性ディレクターの「私」がいまひとつ出てくれば、と惜しまれる。

 NHK仙台の「イナサ」も良かった。

 ナレーションでまとめたやや上品な仕上げは気になるが、時間をかけてじっくり腰をすえて取材したことがよくわかる。

仙台市

出身の私としては今回最も好きな作品のひとつだ。

仙台市

の片隅、太平洋と仙台平野に囲まれた「風の通り道」にある半農半漁の集落で暮らす人々の一年を追う。イナサとは暖かい南東の風のこと、恵みと大漁をもたらす恵みの風である。人々は「情けのイナサ」と呼ぶ。初夏のコチ、秋、冬のナライなど、四季折々の風のひとつだ。

四季折々の自然や地域の行事、人々の助け合いの心など、風を待ち、風を読み、自然に寄り添って生きる地域の人々の昔ながらの素朴な暮らしの豊かさを見つめたドキュメンタリー。(110分)

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2006年9月21日 (木)

ブダペスト日記(2)

ブダペスト日記(2)

9月16日

8時までぐっすり寝た。元気回復。ホテルで朝食後、出発。地下鉄に乗ってまっすぐ地質学研究所へ。今日は道も間違わず、開いていた。入場無料。「ブダペストの世紀末建築」日本語版があったので絵葉書2~3枚と一緒に買う。中は3階までゆっくり見る。帰りにお土産にと鉱石の塊をくれた。オパールが入っているという。好意に感謝。

 地下鉄で、オペラ座へ。中の一部を見てから、向かいの通りの新劇場(ウーイ・シーンハーズ)を見る。レヒネルの弟子のライタ・ベーラのデザイン。かつてはパーリジアーナというナイトクラブだった。今でもモダンデザインとして十分通用するくらい斬新だ。

オペラ座から二つ先の通り、ナジメゼー通りへ行ってみた。「ブダペストのブロードウエイ」といわれた通りである。かつてはオペレッタ劇場が乱立していた。劇場でもあり、居酒屋、キャバレーなどを複合した機能をはたしていた。最も有名だったのが20番地の、映画「カサブランカ」のリックのバーのモデルとなったアリゾナであった。ミス・アリゾナと言われた人気の女主人シュガール・ミツィは元踊り子だった。最後は行方不明という数奇な運命をたどる。監督のマイケル・カーチスもブダペスト出身、映画会社が国営化されたのを機にアメリカへ亡命し、ハリウッドへ移った。ちなみに映画でイングリッド・バーグマンが身をもって守って亡命させたのが汎ヨーロッパ運動のリーダー、今日のEUのはじまりをつくった男がモデルである。彼の母親は日本人だった。

当時、大繁盛していたアリゾナは、いま訪ねてみると、小さなホテルになっていた。入り口だけはミス・アリゾナを含めて当時を偲ぶ写真が数枚張ってあり、少なくとも私が立っていた時間は訪れてシャッターをきる人が途絶えることはなかった。栄華盛衰を感じる。

アリゾナも映画になったらしい。カーチスはこちらの方を作りたかったのではないか。

近くのインド料理店で昼食、カレーとコーラを頼んだ。再び、三度、地下鉄を乗り継ぎ、こういうときは一日券1150FTが便利だ。リスト記念館とコダーイ記念館へ。

リスト記念館はこじんまりした展示だが、フアンにはたまらないだろう。コダーイ記念館は改築中で休館中。英雄広場へ向かう。広場に面した西洋美術館へ。ピカソ展とレンブラント展をやっていた。どちらも小規模なものでのぞいただけ。常設展ではやはり、エル・グレコとブリューゲルが圧巻だった。真向かいの現代美術館は割愛し、市民公園のヴァイダフニャ城を眺めて帰路へ。地下鉄一号線で帰る。ヴェルシュマルティ広場で偶然いいことがあった。広場の一角でブラスバンドの一団が野外演奏をしていた。お世辞にも上手ではないのだが、集まった50人ほどの市民の暖かい拍手と歓声に心温まる交流風景がみられた。得した気分でホテルへ。これで十分と、オペラをみるのはやめた。

夜食はホテルでお気に入りのグラーシュそれにチキンのソテー、温野菜のサラダ。JSTVという日本のテレビを見た。NHKニュースのあとにタモリの番組あり、フジテレビのドラマあり、混合ぶりが不思議なチャンネルだった。

9月17日

ホテルで朝食後、早めに9時過ぎ出発。地下鉄

でブダペスト西駅

へ。券売機が故障していて、コインが入らない。切符売り場もまだしまっている。見ていると、みんなそのまま乗っている。あまり不思議そうな様子をみせないのは良くあることなのだろう。朝早くで検札もなく、私も一駅だけただで乗ってしまった。ブダペスト西駅はエッフェル塔をつくったエッフェルの設計だ。両側の古い建造物を生かして真ん中だけガラスと鉄でつくったものだ。当時は相当モダンだったろう。ケチケメート行きの切符を買う。11時06分発、13番線、1974フロント。表示がなく、タイムテーブルもない。切符売り場のお姉さんがメモ用紙に走り書きした時間とホーム番号を頼りに止まっている電車に乗った。奮発して一等車、がら空きだった。この調子だと待たされるかと思ったが、定刻、アナウンスもなく発車。ホッとする。12時26分着予定が10分遅れでケチケメート着。地図を頼りに市内を目指して歩く。アールヌーボーの異様な装飾宮殿、内部は美術館、入場無料。自由広場からコチューシャ広場へ、レヒエル・エデンの市庁舎はさすが見ごたえのある世紀末建築である。広場の噴水も凝っている。裏手にあるハンガリー写真美術館へ行く。玄関の階段で女性がひとりアルバムを見ている。女子大生風の観光客かと思ったら、切符売り場の担当だった。暇をもてあましていたらしい。客は私一人だった。しばらくロビーのソフアで休憩、職員は女性一人らしい。残念ながら英語をまったく解せず、対話にならない。ハンガリーは、写真の分野でも、クレス・ジェルジ、ケルテス・アンドレ、ブラッサイ、キャパなど多士済々の世界的な写真家を生んでいる。期待をするなという方が無理な美術館だが、内容はいまひとつ。何を見せたいのかよくわからなかった。

 コダーイ記念館をパスして駅へ戻る。15時26分のブダペスト行きに乗る。一等の切符を買ったのだが、すいていたので二等の座席に座った。缶ビールとパン、うとうとするうちにブダペストに着いた。地下鉄に乗り換えてホテルへ。

9月18日

 エリザベート妃のハンガリーでの拠点だったゲデレー宮殿へ行く予定だったが、月曜日なのを思い出し、調べたらやはり月曜日は休館だった。取りやめ。ホテルを出てぶらぶら歩いてエリザベート橋のたもとにある、ブダペスト最古の旧教会へ行ってみる。オスマントルコ占領時代のくぼみが保存してある。その隣り、古代ローマの小さな遺跡、公園にはエリザベートも愛したという詩人ペテーフィ・シャーンドルの銅像がある。1848年の独立革命はペテーフィの「立て、マジャールの民よ!」から始まった。3月15日だったのを記念して3月15日公園という。ハプスブルグ相手の独立戦争だから、いわば敵方の詩人なのに、エリザベートは愛読していたという。その胸中を考えたかった。ヴァーツィ通りを散策していて、孫娘へのおみやげに民族衣装の人形をふたつ買う。コーヒーを飲みながら新聞を読む。「ブダペスト・タイムス」は今週、1956年の秘話を特集するという。

第一回、基点となった場所はVaci通り38のある部屋に集まった会合からだった。その現場を見たくなり、地図で確かめると西駅のそばだ。早速、地下鉄

を乗り継いで西駅

へ。降りて探していたら雨が降ってきた。番地の場所はわかったのだが、建物は新しくなっていた。念のためドイツ語版を見たら、そちらには番地の記載はなかった。駅に隣接するシティセンターに寄り、本屋で1956年の写真集を2冊買う。合計1万4000フロント、最後の買い物だ。オペラ座の近くへ戻り、カフェ・ミューヴェスでコーヒー一杯、かつてのカフェ・ヤーパン、現在は本屋に寄り、しばし棚を眺める。さらに、旧パリジャンデパートの跡地に寄る。改築工事中だが残されたファサードに像の彫刻が並んでいる。まるで像の行進だ。荷物が重く、地下鉄で帰る。ブダペスト最後の夕食は、グヤーシュとチキン。ホテルで軽くワインを飲む。テレビはサッカーとNHKニュース、とリビアの泉。「ブダペスト・サン」紙によれば、ニューヨークのタイムズスクエアにハンガリー1956の巨大な写真が2枚展示されたという。写真を見たら小さく「ハンガリー革命は映画ではありません」と書いてあった。広告主はハンガリー観光局だった。

9月19日

 朝食後、ゆっくり荷物をまとめて11時半過ぎにチェックアウト、ゲデレーへ行こうか、センテンドレのマルギット美術館へ行こうか迷うが、エールフランスの電話がつながらず、リコンファームできない。不安を覚え、結局外出はやめて空港へ。空港で予約を確認する。荷物を預け、カフェでコーヒーとサンドイッチで昼食、いよいよブダペストを離れる日がきた。パリのシャルルドゴール空港で成田行きへ乗り換え。B2ゲートからF2ゲートへバスで移動、90分ほどの待ち時間を空港で過ごす。デューティフリーの店はずいぶん充実されていた。ビールを飲んで飛行機へ。

9月20日

17時40分、予定より20分早く成田着。家のテレビで、安部新総裁選出のニュースと、CNNの生放送でベネズエラ大統領の痛烈なブッシュ批判演説を見た。

(この項おわり)

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2006年9月20日 (水)

ブダペスト日記(1)

ブダペスト日記(1)

9月11日

AF279便でパリ経由、ブタペストへ。5年目の9.11の日だったが、無事

20時50分、予定より10分ほど早く着いた。上空から見た夜景がなにやら神

秘的な都市の風貌をうかがわせるようだ。久し振りに長時間の飛行だったが疲れ

はさほど感じなかった。空港でとりあえず換金、5万円は8万7542フロント

だった。手数料205フロント、差し引き8万7千337フロントが手元に。1

00円が175.085フロントということだ。荷物を取ってミニバスでホテル

へ。2300フロント。ミニバスは相乗り方式で、申し込んで待っていると、呼

び出しがある。5~6人が同方向のホテルへということだが、インターコンチネ

ンタルホテルで降りたのは私ひとりだった。飛行機の食事で腹も一杯、ビールを

飲む気にもならず風呂に入ってすぐ寝る。

 

9月12日

朝食はホテルのヴァイキング、テラスからのドナウ川対岸の王宮の眺めがいい。ゆっくり食べて出発、ホテルから歩いて3分のところにくさり橋がある。舌のないライオン像で有名なブダペスト観光の中心だ。350メートルほどの長さを歩いて渡ってケーブルカーに乗る。往復券1300フロント。日射しがやや強いなか、国立美術館へ。入場無料。ムンカーチ・ミハーイなどを見る。

 トレビの泉そっくりのマーチャーシュ王の泉の前を通ってブダペスト歴史博物館へ、エジソンが1900年にブダペストを撮ったという珍しい写真集を見つけ買う。3900FT

 ケーブルカーの反対側へ戻り、国立バレエ劇場の前を過ぎてディース広場へ、このあたりから中世風の雰囲気のある町並みが続く。王妃エリザベートの愛称だったシシィの名をとったレストラン「シシィ」で昼食のつもりだったが、団体客がたてこんで時間がかかるという。やむを得ずビール一杯でしばしの休息。三位一体広場へ向かう。屋根のタイルが美しいマーチューシャ教会を見る。1000年の歴史を持つ教会だ。拝観料750FT。ハンガリー風のすてきな教会だった。漁夫の砦の2階へ上がった。入場料360FT。これは見事な景観、ブダペスト市内はもちろん、マーチューシャ教会のカラフルなジョルナイ陶器のタイル屋根もよく見える。

ヒルトンホテルの前を通ってウイーン門へ。ウイーンへ通じる道だ。このあたりにアメリカへ移る前のトーマス・マンがいたらしい。かつてはユダヤ人街だった。おいしそうなレストランを発見したが時間を考えケーブルカーで戻る。ふたたび、鎖(くさり)橋を歩く。今度はドナウ川もライオンもゆっくり眺める。やや歩き疲れた。夕食はホテルのレストランでステーキとサラダ。テレビのサッカーを観戦して寝る。

 

9月13日

ホテルで朝食後、フォーシーズンホテルを通って聖イシュトヴァーン大聖堂へ。ブダペスト市内をペストの高所から大俯瞰。高所恐怖症でなくとも怖いくらいだ。観覧料750FT、別にテラスへのエレベーター料が400FT。郵便貯金局のカラフルな屋根がここから唯一見ることができる。

降りて郵便貯金局を目指す。今回の旅のひとつの目的である世紀末の建築家レヒネル・エデンの代表作のひとつ。すぐにみつかった。屋根のカラフルなモザイクは下からは見えない。あらかじめ聞いていて良かった。今は国立銀行分室、道理で警備厳重。中へは入れなかった。玄関でガードマンと雑談するふりをしながら内部の壁や天井を見る。

議事堂へ向かう途中にテレビ局があった。MTVである。小さな橋の上のナジ・イムレの銅像、新しい花輪がささげられていた。ソ連軍に処刑されて30年後に遺体が発掘されて丁重に再埋葬された。橋は、独裁体制から民主主義への架け橋を意味するらしい。橋の下にソ連軍の戦車の轍が刻されている。今年はハンガリー動乱50年のメモリアルな年である。50年前の私は大学2年生、20歳の未熟な若者だった。社会主義の幻影をはじめて感じた衝撃的な事件だった。50年目の今年、どうしてもブダペストへ来たかった理由のひとつでもある。いまや伝説の人ナジ・イムレに東洋の島国からきた老人が人知れずひとり敬意を捧げる。ナジの憂い顔が気になりつつ去る。

議事堂前の民俗博物館を見る。ケルテスの写真でみた記憶がある。入場料1000フロント、小学生の団体と一緒になり、大急ぎで見る。展示方法には問題あり。カフェでコーヒーと肉を挟んだパンの昼食。

 地下鉄で工芸美術館へ向かう。やはり、レヒネル・エデンの作品だ。街路樹でみにくいが美しいタイル壁や玄関付近の美観を楽しむ。展示は平板、なにやらイベントの準備で中央の空間はふさがっていて、壮大な空間がフルに見えず残念。おそらくレヒネルは、太陽光の入り方に腐心したはずだ。

 中央市場へ向かう。観光客でいっぱいだ。途中おいしそうなレストラン、カフェが軒並みある通りを通過した。中央市場の屋台に期待して通り過ぎたが、新興のカフェ通りという感じ、惜しかった。中央市場は人がいっぱい。くたびれて食事のことは忘れていた。

 夕食はゆっくりルームサービス(ビール、グノーシュスープ、スパゲッティ、シーザースサラダ、パン)。ハンガリーの伝統的スープ料理というがグノーシュはおいしかった。病み付きになりそうだ。

9月14日

ホテルで朝食後、ドライクリーニングを頼み、9時半出発、今日も町の散策。ホテルのそばのヴィガドーは改築中、ヴェルシュマルティ広場へ。中央に19世紀の詩人ミハーイ・ヴェルシュマルティの大きな大理石像があり、北に老舗のジェルボー(菓子店)がある。ここは王妃エリザベートも常連のひとりだった。コーヒーを飲みたいが先を急ぐ。広場の反対側に小さな噴水。ここからヴァーツィ通りの歩行者天国が始まる。入り口の新聞売り場で日経新聞を見つけて買った。1150FT

ひとつ裏のセルヴィタ通りにあるトルコ銀行は1906年建造、上部のファサードのモザイクが目を引く。マジャール人の守護聖女フンガリエはまるでジャンヌダルクのような凛々しい感じである。

ヴァーツィ通りは、レヒネル・エデンのトーネットハウスの美しいモザイクもあるし、隣の花屋のアールヌーボーも目に付く。左へ曲がってしばらく行くとバーリジ・ウドヴァル(パッサージュ・パーリジ、パリの中庭)と呼ばれるアーケード空間がある。天井、壁、廊下はアールヌーボーだらけ、100年前に入り込んだような気がする。かつては一流店が繁盛したらしいが、いまは閑散としている。小さな書店で昔の写真とビデオを買う。

歩いてシナゴーグへ。ヨーロッパ最大のものだそうだ。入場無料。ここも観光客が多い。ハンガリーはユダヤ人の国でもあった。欧州二番目に多かったが、戦後に生存が確認されたのは10%ぐらいだという。英語のガイドの一団にまぎれて内部を見る。ユダヤ人の多数の墓、嘆きの柳と呼ばれる銀色の柳、薄い葉の一枚一枚の裏に虐殺で殺された死者の名前が刻まれていた。トイレを借りる。

1駅だけ地下鉄に乗ってニューヨーク・カフェを探す。意外にすぐ見つかったので、ビールとサンドウィッチを注文して昼食とする。店内は金一色にけばけばしく、一寸期待はずれだった。しかし、往時を偲びながら静かにひとりでいると、さまざまな思いが去来する。デジカメの電池不足のアラーム、ホテルへいったん帰り充電することとする。地下鉄を降りたら、最初のジェルボーのすぐ前に出口があった。ホテルで「ブダペスト物語」を読みながら休憩。

 

9月15日

ホテルで朝食後、アンドラシー通りへ行くつもりだったが、思い直してトルコ銀行のモザイクの写真を撮り直す。昨日のフレームが気に入らず再撮影。ついでにトーネツトハウスも。パリの中庭を再び見る。向かいにあるクロティルト宮殿、道を挟んで対になっている。1901年~2年の装飾が残っている。3月15日広場を見るつもりが予定変更、地下鉄に乗ってレヒネル・エデンの地質学研究所へ行くことにする。シュタディオノック駅で降りた。球場沿いに行けば簡単と思ったが、道を一本間違えて遂に住人に聞く。やっと到着したら金曜は休みで中は入れない。曜日の感覚を失念していた。やむを得ず、外観だけを記録。さすが「ハンガリーのガウディ」である。ここが一番彼らしいのかもしれない。明日また来ることにして、再び地下鉄、①線に乗り換えてアンドラシー通りへ。オペラ座の前で下車。しばし歩く。

リスト公園に面したカフェBACARDIが賑わっている。人気があるのはおいしいということだろうと思い、たまたま空席を見つけて休息。ビールとシーザースサラダを頼んだ。量は多かったが美味。近くの席に女性の大群、クラス会の流れらしいが賑やかにおしゃべり。

店をでて、いよいよ今日の最大の目的地(と昨夜決めたのだが)、アンドラシー60番地の恐怖の博物館へ。入場料1500FT。入り口に矢十字と星の二つの紋章が並んでいる。矢十字党はナチスと組んで多くの共産党員を虐殺したが、その共産党も多くの虐殺を行った。02年、ひとりの女性プロデューサーの企画から始まった展示だ。象徴的であるが、ここは秘密警察の本部があった場所である。独房には拷問用具も展示。内部は曲がりくねった展示コースに映像と音の入り混じった空間展示が工夫されている。入ってすぐ巨大なソ連軍の戦車と1956年のハンガリー動乱の犠牲者たちの顔写真が3階まで吹き抜けた壁一面に貼ってある。「ブダペスト1956年写真集」と「展示カタログ」、それぞれ英語版があったので買う。

出てきたら、リスト博物館とコダーイ博物館へ寄り、今夜あたりのオペラ座の切符を買うつもりでもあったが、恐怖感の衝撃大きく意欲を失った。ホテルへ帰って休む。今日は食欲なく夕食を抜いた。CNNSKYニュース、どちらもローマ法王の謝罪で持ちきりだ。

ビールを飲んで寝る。(つづく)

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2006年9月 3日 (日)

9月3日

昨日は、川崎市民ミュージアムの「名取洋之助と日本工房」展をみてきた。7月オープン早々にも見ていたので2回目である。何回見ても飽きない面白さがある。たしか今日までだと思う。日本に「報道写真」という概念を持ち込んだ先駆者だが、「NIPPON」を軸にして写真とグラフィックの革命的仕事をした人でもある。土門拳や亀倉雄策の師としても名高い。なによりも、写真の鋭角さに惹かれた。

この8月は、朝から晩まで地域ドキュメンタリーを見続けた。毎年のことだが、民放連の連盟賞の審査と「地方の時代」映像祭である。「地方の時代」は今年110作品をみてから審査に望んだ。プロデューサーとしての仕事であるが、しばしば仕事を忘れて引き込まれることもある。今年は4作品ほどがそうだった。

「地方の時代」は9月7日午後4時、連盟賞は20日過ぎに入賞作品が発表されることになっているので、ここでは書けない。

来週から、遅い夏休みで10日ほど、ブダペストへ行く。真っ先に行こうと思っているのはカフェ・ニューヨーク。世紀末にカール・ポランニーやルカーチなどが集い、喧々諤々の議論を闘わせた場所である。そのまま保存されてきたらしいその空間で当時の雰囲気を想像するのが目的の第一、第二はミハエル・エンデの建築作品を見ることだ。時間と体力があれば、汽車に乗ってハンガリーの田舎を楽しんでくるつもりだ。

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