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2006年8月 7日 (月)

8月7日

川崎市

の武蔵小杉は再開発が進んでいる活気ある町だが、その商店街をはずれた一角に市の生涯学習センターという施設がある。そこで「かわさき市民アカデミー」という市民講座が開かれていて活況を呈している。かつて篠原一氏、江藤文夫氏、鷲頭力氏などの名講座があり、豊かな地域文化を育んできた伝統の地である。

 今年読んだばかりの坂野潤治氏の「明治デモクラシー」(岩波新書)も蒙を啓かれた一冊だったが、ここでの講義をもとにしたものだとあとがきで知った。

 私は二年ほど前、江藤文夫氏の講座に招かれて二回ほどドキュメンタリーの話をしたことがある。江藤さんは「五十三年生まれのテレビは戦争体験を持っていないメディアだ」という持論を展開されている。この時の対話がきっかけで、ここでドキュメンタリーの講義をすることとなった。残念ながら江藤氏は亡くなられたが、由緒ある講座を汚してはいけないと緊張してやらせていただいた。

 当初は二十人ぐらいでしょうと言われていたので、ゼミのようなかたちでやれるのかなと思っていたのだが、受講者は90人を越え、大教室でマイク使用でということになった。集まった方々は既にリタイヤーした高齢者が多いのだが、その熱心さはいまどきの大学生など足元にも及ばない。ちらほらと若い女性がいる。聞いてみると、イギリスの大学院でドキュメンタリーを学んで帰ってきたところだという。偶然、講座のチラシをみて参加したそうだ。

ドキュメンタリーとはなにか?から始まって、ニュースとドキュメンタリーのあいだ、テレビの「生中継」、戦争とメディア、巨大情報操作、写真、ブログ、ディバーシステム、世論形成、記憶と記録、フィクションとノンフィクション、市場、表現、国家権力、地域、J・デリダのテレビ論、方法としてのドキュメンタリー……。さまざまなアングルからテレビドキュメンタリーを考え、毎回レジメをつくり、映像を用意して通った。大学の講義よりも緊張度は高かったかもしれない。補講を加えてようやく七月末に終了することができた。私にとっても収穫が多く、充実した、しあわせな時間を持つことができたと考えている。

 

 一方、地域ドキュメンタリーの秀作をみる機会は相変わらず続いている。それに加えてまもなく「地方の時代」映像祭の審査もまもなくはじまる。今年はどんな秀作と出会えるかを楽しみにしている。

第二次大戦も遠い歴史のなかに忘却されつつあるが、戦時中のB29に爆撃された体験を持つものとしてハッとさせられた作品があった。

静岡放送制作の「SBSスペシャル『散華』~ある朝鮮人学徒兵の死~」(プロデューサー・大森繁、ディレクター・笠井千晶、06年5月28日放送)である。

敗戦三ヶ月前の昭和二十年五月、静岡県大井川上空でアメリカの爆撃機B29に体当たりした日本の戦闘機があった。当時二十二歳の河田清治少尉である。町には目撃者も多く大騒ぎとなり、その勇敢な行為は「散華」と賛えられ大きく報道された。落下傘で脱出を試み失敗して山中に落ちた。発見された遺体の胸ポケットには大切に折りたたんだ一通のハガキが入っていた。妹からのものと推定された。遺体は村人たちの手で荼毘にふされた。

やがて、河田少尉は創氏改名して徴用された朝鮮半島出身者だったことがわかる。その後の状況の推移は想像される通りである。大和魂への感動は、たちまちある種の戸惑いへと変わった。記事のなかに朝鮮人という言葉はない。つくられた「英雄」に隠された「真実」、四十五年後に在日一世の努力で遺族がわかったが、韓国では裏切り者扱いであった。遺骨は引き取り手がないまま宙にさ迷い、日本のお寺に安置されたままだった。

制作者たちは執拗にその事実を追う。番組は次々と意外な展開となる。たとえば、取材であった上官は体当たりを命令したことはないという。二人の妹はハガキを出したことはないという。日本人の恋人がいたらしい。

「戦後」六十年を改めて考えさせられ、改めて「国家」を考えさせる秀作であった。笠井ディレクターの粘り強い取材が生んだものであろう。

もう一本は富山テレビ制作の「作戦任務307~富山大空襲60年目の検証」(ディレクター・坂田奈津美)。作戦任務307とは、アメリカ

空軍の富山空襲プロジェクト名である。空襲に参加した3人の搭乗員をアメリカに訪ね、うちひとりは富山にやってきた被害者と対面する。前日散布された避難勧告のビラ、空襲警報を発令するタイミングをめぐる秘話など、スリリングな展開のなかに戦争の愚かさ、悲惨さが浮き彫りにされる。地域局がとりくむべき記憶の記録としても価値が高い作品であった。

サッカーのワールドカップやボクシングの亀田チャンピオンなどにみるように、テレビ局は明らかにアジテーションのメディア色を強めつつある。美化された「散華」の物語にも、悲惨な「被害」の物語にも、60年たってようやく冷静な報道者が現れたというべきか。それにしても長い道のりであった。

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